*****《ある町の退任人権擁護委員のメモ》*****

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【共生社会と人権:その3】


 令和6年10月,ある団体から講演の依頼を受けました。先日そのお役目を終えました。その時の話を採録しておこうと思い立って,数回に分けてお届けいたします。聞きたいという方を前に語ったことが,どのように伝わったのか分かりませんが,一つでもそうなのかと思って頂けたら幸いです。よろしかったら,お付き合いください。
 講演で依頼されたテーマは「共生社会と人権」でした。依頼された団体は障害のある方と民生児童委員,人権擁護委員の方々です。この前提で話を組み立てています。講演録の第3回分です。

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【3】社会での人権について

 第2回の話の中では,人権侵害の状況を大まかに捉えてきました。侵害が起こっている現実を認めざるを得ませんが,その状況をどのように整理すればいいのかという課題に直面することになりました。共生社会を論ずるためには,人権の目線で社会がどのように把握できるのかを弁えることが必要です。そこで,この回では,人権の全体的な構造についてのイメージを描くことから論議を進めていくことにします。
 
 ある新聞の投稿欄で,高校生が平和についての素直な迷いを訴えていました。戦争が無ければ平和なのか,ということです。戦争はしていないが,いま自分にとっては当たり前である生活ができない人がいるというのは平和なのか。安心安全な生活を与えてくれていることが平和なのだろうか。
 この高校生の迷いを,人権という視点で考えてみます。戦争がないということは「争いがない」ということで,人権侵害がない,と考えることができます。これは人権にとっては必要な条件になります。さらに平和であるということは「和がある」ということで,人権擁護がある,と考えるべきです。これが人権にとっては十分な条件になります。物事の定義には,必要条件と十分条件の対がなければなりません。この和については後で改めて詳しく触れることにして,ここでは「和を以て貴しとなす」という聖徳太子の言葉があることだけを,気にとめておいてください。
 もう一つ,社会における人権の存在位置を確かめておくことが,理解をより具体的にすることに役に立つはずです。
 人権は人間の権利です。では,人間とは? 文字通りに,人の間です。この間がすれ違うと間違いになり,間が合うと間に合うとなります。人はそれぞれに人との間を大事にしていることで人間となっています。そのように人々は気付いて,人間という言葉を使ってきたのでしょう。

 ここで,権利についても,簡単に整理をしておくことにします。次の図をご覧ください。
土地の分割始めです
 この図は,開拓時代に入植者がそれぞれ思い思いに自分の所有地を線引きして権利を主張していることを示しています。強くなければ所有できません。やがて,すべての土地が占有されてしまいます。ところが,図のすべてが区分けされた後,中の土地占有者は土地にたどり着けません。他人の土地を通らなければなりません。この権利主張は価値がなくなります。どうすれば,いいのでしょうか。
土地の共有化です
 簡単のために,一律に各所有地を縮小して,間を作り出し,共有します。この部分が国や社会,世間となる部分です。この所有地を個人と見なすと,人と人の間が存在するイメージに辿り着きます。この間を介した関係が人間関係であり,そのあり方が人権というものになります。すなわち,人間らしくあること,それが間の望ましいあり方としての人権に重なってくるのです。
 例えば,人権の気付きの初期,「自由・平等・博愛」という人権宣言がありました。この宣言を図に投影してみると,私は自由であり,あなたは私と平等に自由であり,お互いの間は博愛でつながっているという構造になります。この基本的なイメージを維持しつつ,次回では現在の社会で必要とされている人権全体の構成を探っていくことにします。

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 講演採録の第3号は以上です。次号では,人権の構成要素を具体的に整理する試みを進めていく予定です。

(2024年11月10日)