【共生社会と人権:その4】
令和6年10月,ある団体から講演の依頼を受けました。先日そのお役目を終えました。その時の話を採録しておこうと思い立って,数回に分けてお届けいたします。聞きたいという方を前に語ったことが,どのように伝わったのか分かりませんが,一つでもそうなのかと思って頂けたら幸いです。よろしかったら,お付き合いください。
講演で依頼されたテーマは「共生社会と人権」でした。依頼された団体は障害のある方と民生児童委員,人権擁護委員の方々です。この前提で話を組み立てています。講演録の第4回分です。
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【4】人権羅針盤の構築について
第3回の話の中では,人権は人の間の権利の様相であるという予想を提示しておきました。現在,人権については各種の宣言や条約といった形で表明されています。そこで今回は,それらを統合する論考を試みることにします。個別具体的に権利の説明がされていますが,人の権利という形に凝縮できるはずだと考えます。少し煩雑になりますが,まとめる作業をお示しすることが思考過程を理解して頂くために必要だと思っています。お急ぎの方はスキップして後の号での結論にお立ち寄りください。
まず,人権とは人の尊厳を宣言するものです。そこで,僭越ですが,拙い私の存在を定義するためには,どういう項目を明らかにすればいいのか,という例えから説明をしていきます。簡単に言えば,自己紹介です。
○まず,私は誰か(WHO)と,名前●● ■■を明示します。
○次に,どこに居るか(WHERE)と,〒住所・・・を示します。
○いつ生まれたか(WHEN)と,生年月日・・・年齢を伝えます。
○何の(WHAT)資格を持っているかと,・・免許と知らします。
○なぜ(WHY)目指すのかと,今後の活動の理由を訴えます。
○どのように(HOW)貢献ができるかと,職歴を説明します。
以上の6点は,共に生きていく人として受け入れる価値があることを判断するために必須の要件です。社会人になるときに求められる履歴書も,人間社会の存在証明書として,権利宣言していることになります。
それとなく示していますが,物事の説明に必須の要素は5W1Hにあるというごく当たり前の知識を,今後の論考の背骨として配置しておきます。
これより本筋に入っていきます。人権についての説明は,世界人権宣言をはじめとして,子どもの権利条約,障がい者の権利条約,高齢者の国連原則などとして,成文化されています。普段はそれぞれを別々に読み解き利用していますが,子どもも高齢者も障害者も同じ人間であると考えると,それぞれは同じことを言っているはずです。そこで,各宣言・条約を並置し,横並びの文章から共通の意味を読み解くことができるはずです。その構成を示したものが,次の表です。
この表を横向きに切り取る形でまとめていきますが,その共通項として選出する意味を,2つの流れに添うものと意識しておきます。一つは「私が幸せであること」,もう一つは「人間としてあるべきこと」です。前に触れておきましたが,法務局の啓発資料「人権の擁護」の冒頭での人権についての説明にある「幸福を追求する権利」及び「人間らしく生きる権利」という二つの主題に添うことを目指しています。以下に実際に具体化することで,納得して頂けることと思います。
(1)権利分割第1項:WHO
権利一覧表の第1行目を抜き出してみると,次のようなものになりました。
人権宣言のキーワードは「自由」です。子どもについては「命が守られること」をどのような危害からも無縁であるという意味で自由と考えます。障害者・高齢者の自立は自己決定権と密接につながっているはずです。そこで私個人の幸せの権利として「決断権」を,人間としての権利は互いに「自由」であること,そのために人の間では,それぞれ自他を尊重し合い,お互いを束縛しないように心掛ける関係が望ましいとまとめることができるでしょう。
【私は,自分のことは自ら決断する】,そして,【私たちは,他者から独立し,指図されない】
「自由な人間関係の人権」があるから,自分のことをよく考えて「決断する権利」がある!
○ワタシが幸せに生きていく第1の権利は,「ワタシのことはワタシが決める」ということです。その「ワタシの決断権」を保障する形として自由が想定されています。個人の決定が具体的に実現されるかどうかは置いておくとして,先ずは決めることが尊重されていなければなりません。
障害者権利条約の審議のプロセスで,「我々のことを我々抜きに決めるな」と,当事者から提起されたということも大事にすべきことです。
※身近なことでは,朝起きなくてはと,自分で決めています。起こされてはいないでしょう。また,今日のおかずは○○と,自分で決めています。食のことが出たので,洋食と和食についてもみておきましょう。西洋料理は調理人が皿に盛りつけたときに味が決まっていますし,味の順序も決まっています。和食は,味の薄いものからといった作法もありますが,どの順番で食べるかは食べる人の自由です。さらに,ご飯と煮物を口に入れたり,ご飯とお椀のものを口に入れたり,その量を加減したりと,口の中でいろんな味を調合することができます。和食ではテーブルに調味料も並んでいるので,味の調合も食べる人に任されています。手塩という食膳に添えられた少量の塩で,食べる人が味加減を整えるために使われています。このように自分の気に入った味付けにすることができる食べ方は,味を決めているのは自分であると思うことを可能にします。料理をする人に信頼を置けば,勧められる食べ方を受け入れることもできますが,そうでなければ食べ方まで指示されると気分を害することになります。言われたくないということです。
※いじめ防止対策推進法という法律においては,「いじめ」とは,児童等に対して,当該児童等が在籍する学校に在籍している等当該児童等と一定の人的関係にある他の児童等が行う心理又は物理的な影響を与える行為であって,当該行為の対象となった児童等が心身の苦痛を感じているものをいうこととしています。つまり,いじめであるかどうかは,受けた者がいじめと判断し決定することとされています。いじめた者や周りの者がふざけであると言い張っても,いじめられた私が決めるということです。
自分のことは自分が決める,それは人権の重要な要素です。もしも指図されると従属関係になります。対等とは自由であることであり,具体的には自己決定権を行使できるということです。
(2)権利分割第2項:WHERE
権利一覧表の第2行目を抜き出してみると,次のようなものになりました。
人権宣言のキーワードは「平等」です。子ども。障害者についての「差別されない」は平等と読み替えます。高齢者の「公平に扱われる」も平等であることです。平等な立場,位置づけは,私個人の幸せの権利として「安心権」をもたらしてくれ,人間としての権利は互いに「平等」であること,そのために人の間では,それぞれ自他を信頼し合い,お互いを差別しないように心掛ける関係が望ましいとまとめることができるでしょう。
【私は,信じ合える安心な所にいる】,そして【私たちは,皆同じという平等の了解が交わされる】
「平等な人間関係の人権」があるから,人は「安心」できる場所で生きていく権利がある。
○ワタシが幸せに生きていく第2の権利は,「安心の確認としての人とのつながり」です。独りぼっちである,孤独であると,生きることが辛くなります。さらに,誰からも必要とされていない,邪魔にされ無視されていると思ってしまうと不安にかられるはずです。人間は人の間と書きますが,文字通り人と人の間が安心して生きていく居場所であることが望まれ,安心する権利が求められます。さまざまな形の人とのつながりを破壊する理不尽な強制などは,安心する権利の侵害と見做されることになります。
※スポーツの試合中に殊勲を挙げた選手をチームメイトが出迎えます。かつて,アメリカ大リーグでホームランを打った選手を出迎えるときに握手をしていました。ところが,黒人選手がリーグに参入し活躍するようになってくると白人選手たちは握手をしたくないと思い始めますが,歓迎はしないわけにはいきません。そこで苦肉の策として掌でタッチをするようになったのです。その前例がコロナ渦の中ではハイタッチさえ忌避され,グータッチになりました。
自分はどう思われているか,気になりませんか? 「いない方がいい人(亭主元気で留守がいい?)」であれば,不安になります。「いてもいなくてもいい人」であれば,落ち着きませんし,「いてもいい人」ではさみしいことでしょう。「いなくてはならない人」になってようやく安心することができます。「いてほしい人」であったら誰しもうれしくなるはずです。
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講演採録の第4号は以上です。次号では,人権の構成要素の続き第3,4項を整理していく予定です。
(2024年11月17日)