【共生社会と人権:その6】
令和6年10月,ある団体から講演の依頼を受けました。先日そのお役目を終えました。その時の話を採録しておこうと思い立って,数回に分けてお届けいたします。聞きたいという方を前に語ったことが,どのように伝わったのか分かりませんが,一つでもそうなのかと思って頂けたら幸いです。よろしかったら,お付き合いください。
講演で依頼されたテーマは「共生社会と人権」でした。依頼された団体は障害のある方と民生児童委員,人権擁護委員の方々です。この前提で話を組み立てています。講演録の第6回分です。
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【4】人権羅針盤の構築について
第4回の話の中で,各種の人権宣言や条約などを「幸福を追求する権利」及び「人間らしく生きる権利」という二つの主題に添うようにまとめてみようと試みています。その続きです。お急ぎの方はスキップして後の号での結論にお立ち寄りください。
この表を横向きに切り取る形でまとめていきますが,その共通項として選出する意味を,2つの流れに添うものと意識しておきます。一つは「私が幸せであること」,もう一つは「人間としてあるべきこと」です。
(5)権利分割第5項:WHY
権利一覧表の第5行目を抜き出してみると,次のようなものになりました。
人権宣言のキーワードは「・・・」と何もありません。世界人権宣言でも「・・・」と無言です。新しい軸が必要のようです。人権宣言には時間軸,つまり明日に向かう権利が想定されていません。生きていく上で未来に向かう権利は欠かせないものと考えます。子どもについては「医療や教育といった明日への生存・発達」という権利が尊重されます。高齢者では「共同体の介護と保護を享受できる」ことで未来に向かう権利が確保できます。障害者では「機会の均等」による未来への可能性が権利となります。そこで私個人の幸せの権利として「希望権」を,人間としての権利は互いに「持続」であること,そのために人の間では,それぞれ自他で期待し合い,お互いの明日を否定しないように配慮する関係が望ましいとまとめることができるでしょう。
【私は,明日の希望に向かって生きていく】,そして,【私たちは,それぞれの可能性に賛同し,期待をする】
「明日を期待する人権」があるから,喜びをもたらす「希望する権利」を持つことができる!
○ワタシが幸せに生きていく第5の権利は,ままならない憂き世の中で,希望を持つことです。絶望とはこの先生きていてもいいことがないという思い込みです。どうせなら,希望が適うはずという思い込みの方が幸せになれるはずです。
希望が奪われて絶望に向かってしまう言動や行動の背景には,偏見や誤った知識,迷信,根拠のない因習などに基づくものが多く見受けられます。私たちの心の中にひそむ偏見や誤った考え方,根拠のない因習を取り除くことが,人権侵害から救われる方策です。
※昔話ではいろいろな紆余曲折がありますが,最後の言葉は「めでたし,めでたし」と決まっています。好事魔多しという一方で,万事塞翁が馬とも言い続けられてきました。明日の可能性を信じて,発展や進化を期待できるから,生きる力を引き出すことができます。今は苦しい状況でも,明日になれば変わるはずと思うことができると,がんばろうと思います。いじめで命を絶った子どもが,いじめが明日も続くと思ってしまっている書き込みを残していました。命とは明日に向かうものなのです。
※「恩送り」という言葉がありました。普段の生活で人様から何らかの恩を受けた際には,「恩返し」をすることが人付き合いの倣いです。ところが,恩を返せない場合もあります。そのときは,受けた恩を,頂いた方ではない別の人に送ること,それが恩送りであり,江戸時代には使われていたようです。
親に受けた恩を子どもに向けて送る,子育ても恩送りとなります。子育てが代々続いていくように,恩送りは人と人の心をしっかりとつないでいきます。その連鎖が世間というものの機能であるとして「情けは人のためならず」という言葉が生きてきます。情けから生まれる恩という行為が,恩送りでバトンのように渡り巡って,いずれは恩返しとして戻ってくるという明日への信じ合いです。
理想郷ではない浮世で生きていくためには,人のつながりに明日が埋められているという希望を信じる権利が必須です。現実の世の中では先を争うといった競争や限られた状況という事情があるために,誰にでも同じ希望は叶わないことが起こります。多様な希望を創造していく夢を持っていたいものです。ものは考え様でもあります。
(6)権利分割第6項:HOW
権利一覧表の第6行目を抜き出してみると,次のようなものになりました。
人権宣言・世界人権宣言では「・・・」であり,何の定義もありません。子どもについては,「発達の権利」として持って生まれた能力を伸ばし成長できることと未来への可能性があります。高齢者については,「自己の可能性を発展させる機会を追求できること」が求められています。障害者についても,「発達する能力の尊重」という形で支援を受ける権利が表明されています。
そこで,私個人の幸せの権利として「成長権」による行動を促し,人間としての権利として「共生」の維持を確固とした社会における未来への指針に位置づけていきます。その実現を目指して人の間では,それぞれ自他で支援し合い,お互いを妨害しないように心掛ける関係が望ましいとまとめることができるでしょう。
【私は,自分の能力を信じ成長し続ける】,そして【私たちは,お互いの能力を頼りにし援助し合う】ことになります。
「支援する人間関係の人権」があるから,人として社会として「成長する権利」を持つことが望まれています。
○ワタシが幸せに生きていく第6の権利は,先人から膨大な知恵を受け継ぎ皆が共有することを目標にして成長することです。学びをせずに成長をしないままでの権利の行使は権利侵害を招きやすいという過去の反省が生かされなければなりません。それは,数々の権利が過去の反省から生まれてきたという経過を思い浮かべると明らかです。歴史を見ると,社会の失敗を反省して始まる学習機能が働いたときに,豊かな社会が創り出されてきました。
人は,社会の中でお互いに支え合って生きています。共生しています。そのことは普段はごく当たり前のことであって意識していないので,自分の人権が守られているのは,自分以外の人の英知と努力によるお互いの見えない「支援」による共生のお陰であるということを忘れがちです。したがって,お互いの人権がどのように相互に連携して機能しているものであるかをあらためて学習し実践することが,人権尊重の実現を可能にしてくれるはずです。
※ここで,共生関係の基本は,再確認しておきます。生きるために出会ってしまう奪い奪われるという関係では,自分が五分で相手が五分という形になるしかありません。それが,「世の中はギブアンドテイク」という言葉になります。ここで,気をつけなければならない大事なことは,ギブアンドテイクの順序です。例えば,悪代官が豪商につぶやきかける「魚心あれば水心」のつぶやきで,賄賂をくれたら利権を与えようという要求は,テイクしたらギブするという逆順です。このような奪ってから与えるという手順は,闇のルールなのです。すなわち,人権を侵害する所作,それはテイクアンドギブという逆順から起こります。もちろん,テイクするだけの場合は当然のこととして法に触れる犯罪になります。
社会参加で,金をくれたら働くというのは逆順であり,働いたことへの報酬として金を受け取ることが正順です。表社会のルールは,先にギブして後からテイクするのです。さらに,ギブアンドテイクにつながる言葉を見ると,「どうぞ」とギブして「ありがとう」とテイクしていきます。ありがとうは後出しの言葉なのです。
さらに言えば,先にテイクしようとするから,奪い奪われることになります。先にドウゾとギブすることを自分で決めているから奪われることにはなりません。奪われるという事態を避ける工夫,それが人間らしさ,優しさです。例えば,赤ん坊は親から奪って育っていきますが,親は子どもから奪われることを「ギブ」と決めて納得しています。ドウゾ,アリガトウ,そして「どういたしまして」,それが共生の基本形なのです。
※幸せになるには,どのようにすればいいのでしょう? 人は万能ではないので,補い合うことが必至です。そのことは,人という字が支え合う形になっていることからも思い描くことができます。人間という文字の人の間を寄り添ってつなぐから,立ち上がる,生きることができると意識しています。支え合う,支合わせだから幸せという語呂合わせを覚えておくこともできます。共に生きようと同意できるから,支援し合う社会が構築されていきます。
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講演採録の第6号は以上です。次号では,これまでの人権の6つの構成要素を総括する「人権羅針盤」を提案する予定です。
(2024年12月01日)