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【5】 風を求める
個人生活をはじめとして、社会なり、組織なり、国家にしても、周期的に「行き詰まり」という状況に至ります。そんなときに新しい風が求められます。
《5.2》 社会生活の行き詰まり
人は生き物としてテリトリーを持ち、仲間集団を形成し社会を構成して暮らしてきました。ところでかつて「住む世界が違う」という言葉があったように、一人一人には世界観があります。それが近年狭まっているように感じます。
「和をもって尊しとなす」の信条が今も生き続けていますが、人は和を実現できる広がりに閉じこもりつつあります。自分と同じ思い、同じ考え方など、違いが感じられない人とだけ仲間になり、違いのある人を自分の世界から排除してしまいます。自分は十分に和を実践して暮らしていると思ってはいるのですが、実のところは和を結びやすい人とだけ狭い世界を共有しているに過ぎません。確かに同じ価値観を共有する人とは気軽に仲良しになれますし、心理的な葛藤などもありません。しかしながら、居心地の良い世界は停滞するという宿命を背負います。繁栄と衰退は一セットであるという歴史上の教訓は、普段の暮らしには生かされていません。
また、「キツイ・キタナイ・キケンの3K」が忌避されていますが、いずれも手で触れる世界に関わることです。触れあいとは触れ合うことです。触覚を抑えたら、新しい風を感じることができません。
和やかな仲間集団を意図するあまり必然的に異見を持つ人を排除してきた結果、例えば子ども会、青年団、婦人会、老人会などの同世代から構成される地域組織は、マンネリ化というカビによって衰退し続けています。本来地域とは子どもからお年寄りまでの世代を貫く縦社会が背骨でした。世代が融合しているから、伝統的価値の継承と同時に改革的価値の進取のための道筋が確保できます。組織の活性化とはそういう形態の中で実現するものです。組織自体が風穴を持たなければ、新しい風を年輪として刻むような生き続けは望めないでしょう。
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