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【結び】
子どもは今を生きています。大人は過去という色に染まっているので,今をありのままに見ることができません。子どもの言動に浮き出した異常性は,大人が作り上げた社会の灰汁であり,それは中和剤となるものを過去に置き忘れてきたことを示しています。
この小論では,灰汁を煮詰めて考察の鍋底に残るものを抽出してきました。キラリと輝く針状のものは鋭いテイク指向でした。振り返れば一昔前のバブル経済は総テイク指向の状態と特徴づけられ,その崩壊は行動規準のアンバランスがもたらした必然的な帰結であったと考えることができます。まさにその時代に多感な子ども時代を過ごした青少年が,今さまざまな問題行動の主役になっています。
多方面で構造改革が叫ばれていますが,改革には理念が必須です。人の欲望を解放したテイク指向が元凶であるという指摘は短絡的で軽率でしょう。それ自体が悪の理念ではなく,優先したことに悪意を見るべきなのです。人は個人として生きていくためにテイク指向を必要としていることは認めなければなりません。ただし,社会が営まれるためにはそれだけでは十分ではないということです。時代の動きという巨大なうねりの中で,テイク指向優先になった背景には,消費の美酒によるバランス感覚の麻痺がありました。バランス感覚とは相反する理念の衝突と均衡を意味します。テイク指向の反対理念はギブ指向であり,ギブ指向を優先することによって社会が形成されているという歴史認識が再確認されるべきです。
子どものしつけとは社会化への働きかけですから,社会の理念をきっちりと教え且つ学ばせなければなりません。そのためにはまず理念を具体的に提示し,次に暮らしに生かし続ける必要があります。この小論では「先にドウゾとギブし,後でアリガトウとテイクする」という理念を提案しました。決して斬新で高邁な理念ではありませんが,行動判定にはすこぶる有効ですし,何よりも子どもにも理解できる点が実践的です。
暮らしの中での社会的なルールとして一般に用いられている「迷惑をかけないように」という理念は,テイク指向のブレーキとしては有効です。しかしながら「少しの迷惑は引き受けよう」という反対理念がなければ,バランスを失うはずです。テイク臭の強い宝くじがはずれた人に向かって,当たった人にギブできたと喜べと言うつもりはありませんが,普通の暮らしのレベルではやはりギブ優先が心の豊かさをもたらしてくれるはずです。
しつけの目的が子どもの幸せである以上,子どもが幸せになれる理念をしっかりと伝授すべきです。それが子どもたちから問題行動を抵抗なく拭い去る王道と考えることができます。
親や大人はあらゆる自らの行動がテイク優先になっていないか反省し,ギブ優先になるように修正すればいいのです。家庭では父親も子どもも,母親からアリガトウとテイクばかりしていないでしょうか。母親がアリガトウと言えるようにギブしているでしょうか。地域では隣人にドウゾと言っているでしょうか。路上で自分が先とテイクしていないでしょうか。子どものためとは言いながら,気持ちのどこかで自分の満足をテイクしようとしていませんか。自分を大切にするというスローガンを短絡的にテイクの勧めと勘違いしてはいないでしょうか。
しつけは自らの行動哲学を伝授する営みなので,事前にきっちりとした自己チェックが必要となります。ギブアンドテイクのキーワードを試金石にすれば,自ずから自らのしつけの方向や課題が浮かび上がってくるはずです。具体的な解決策とは一人一人の親が見つけるべきものです。問題を発見する魔法のめがね,それが「ドウゾと言っているか」と問いかけることなのです。そうすることによってきっと幸せへの道に戻ることができるでしょう。
《完》
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