《いじめてる 積もりがなくて  いじめてる》

 教室に「明るく元気な子」と掲げてあります。明るくもなく元気でもない子どもには居心地がよくありません。虚弱な子どもをもつ親は,そっと目を逸らします。何気ないことかもしれませんが,大切なことのような気がします。
 ネクラで弱い子は教室から拒否されています。クラスの仲間からも異端児扱いを受けることがあります。明るく元気ではないために,登校することが辛くなります。学校に行っても保健室に逃げ込みます。保健室は明るく元気ではない子どもだからこそ受け入れてくれる,唯一の場所だからです。
 それは目標を掲げているだけで,弱い子を排除する積もりではないのでしょう。しかしその積もりがなくても人を追いつめることがあります。いじめる積もりはなくていじめたり,邪魔する積もりはなくて邪魔したり,怪我をさせる積もりがなくて怪我をさせたりします。言葉の行き違いもそんな積もりではないことが原因です。積もりがないということは決して免罪符にはなりません。
 目標にはちょっと努力すればできることを掲げるべきです。ネクラな子が簡単にネアカな子になれるはずがありません。無理強いは間違っています。それよりも学校は子どもに弱くていい,弱いから皆でどうすれば仲良く生きていけるのかを学ばせてほしいと思います。学校は病院ではないのです。
 子どもの弱さを肯定し,認知することから育つことが始まります。弱さを否定されることが,その弱さを抱えている子どもには致命傷になります。

(No.11:リビング北九州:97年2月1日:1192号掲載)