《させられて 疲れたパパは 一休み》

 日曜日は暦を見ると週の初めです。しかし,実感としては週の終わりの安息日です。それも夕方までで,サザエさんが始まると週の初めに引き戻されます。
 今の子どもたちは,よく疲れたと言います。今一番したいことはと尋ねると,眠りたいという答えが返ってきます。私が子どものころ,遊び回ってくたくたになっても疲れたという思いはしませんでした。疲れたという思いは,体の疲労とは少し違っているようです。
 一日をこう過ごそうと自分で思っているときには疲れません。他方,こう過ごしなさいと他人に言われると疲れます。車酔いをする人でも,自分で運転すると酔わなくなることがあります。大人でも勤めていて疲れるのは,働かされているという気持ちが意識の底にあるためでしょう。
 子どもは育てられ,学ばされ,させられて,疲れています。疲れると理由もなくいらいらします。ちょっとしたきっかけでまわりに当たり,そんな自分にまた疲れ,反動として面白いことにのめり込みます。いじめもはけ口の一つです。
 ひよこを育てるゲームウォッチに人気が出たのは,育てられているという状況を子どもたちが逆転しようとするささやかな抵抗のように思えます。子どもたちが自分でこうしようと思ってそれができる世界が,もう画面の中のゲームしか残されていないとしたら,子どもたちは育つことができません。
 親は育ちを子どもに返す努力をすることが求められています。パパの子育てから,子どもの育ちに。

(No.13:リビング北九州:97年3月8日:1197号掲載)