《見ていても 覚えていない 無関心》

 連れ合いの髪形がときどき変わります。お買い得の新しい洋服に着替えていることもあります。それに気付かないでいると,連れ合いの笑顔がすっと消えます。ちょっとしたすれ違いとあなどっていると,修復が大変です。
 部屋の壁にかかっているカレンダーの絵が何であったか,思い出そうとしても思い出せません。通勤している道筋で,ある日急に空き地ができていても,そこに何があったのか思い出せないことがあります。見ているはずなのに見ていないようです。それを知っていたからどうということはないことですが…。
 子どもの好きな色は,好きなおかずは,好きなタレントは,好きな音楽は,好きな動物は,また嫌いな虫は,嫌いな言葉は,嫌いな学科は,嫌いな果物は,嫌いな人は,と自問すると,ほとんど分かりません。一体子どもの何を知っているかを診断するために,「私の子どもは○○です」と,○○にいろんなことを当てはめてみます。名前,性別,年齢,誕生日,学校,成績,欠点,し好品,友人名と言ってきて,やがて10個を過ぎてくると行き詰まります。
 一緒に暮らして言葉を交わしていても,子どもからの語りかけが耳に全く残っていません。見ようとしない,聞こうとしない,感じようとしないと何も分かりません。
 父親はだれでも,愛する連れ合いや子どものために頑張ることが喜びと思っています。ただあまりに身近過ぎて,その大事な相手に無関心になったら,自分が何のために毎日頑張っているのか,見失うことになるでしょう。ちょっとだけ気を付けて,「髪型が変わったね」。晩酌が一本余分につきます。

(No.17:リビング北九州:97年5月24日:1207号掲載)