《してやろう その優しさが 思いやり》

 連れ合いが「日曜日の方が忙しい」とぼやきます。三度の食事の用意をしなければならないからです。暗に「一人だったら簡単に済ませられるのに」と言っているようです。それでも,たまに新しい料理が登場します。子どもたちは「また訳の分からないものを作って」と,試食させられることをぼやきます。
 料理の先生が「おいしい料理を作るコツは,あの人に食べさせたいと思うことです」と言っているのを聞いたことがあります。料理の工夫をしてくれる連れ合いをあらためてほれ直しています。勝手な思い込みかも知れませんが。
 親が子どもに願う姿の筆頭は「思いやりのある子ども」です。思いやりをしつけるには,してもらったときにうれしかったという,思いやりを受ける体験をさせます。人は人を喜ばせることができるということを学ぶのです。次に,子どもの風の吹き回し的な思いやり行動を表現豊かに受け止めてやることです。「こんなことで親は喜んでくれた」という快感が,思いやりを引き出す力になります。
 親がしなさいと命じる監督者ではなく,してほしいと待っている受容者になれば,子どもは親に向かって喜んでいろんなことをしてきます。「手伝ってくれたから,早く終わって助かった。ありがとう」。親は練習台になってやるのです。実際は二度手間になるかもしれません。しかし家庭で十分練習しておかないと,よそで未熟なまま迷惑を掛け,「余計なお世話」と手厳しく拒絶され,思いやりの芽を踏みつぶされます。
 働くという字は”人”のそばで”動く”と書き,ハタをラクにすると読みます。家族の暮らしを支えるお互いの働きから,思いやりという花が開きます。

(No.19:リビング北九州:97年6月21日:1211号掲載)