《親の夢 背負う名前が 身を正す》

 駅などの駐輪場に雑然と並んでいる自転車を見ると,ほとんど名前が書いてありません。似たような自転車の中から自分の自転車を,どのように見分けているのか考えてしまいます。置き場所が変わったりすると,探すのに苦労するのだろうと思います。無記名であるのは,物に書き込まれた名前を一日中人目にさらすことに,漠然とした不安を感じるためかもしれません。
 学校で子どもたちが忘れ物をしたときなど,物がちょっと汚れていたりすると,自分の物ではないと受け取りを拒否するそうです。名前が書いてあると引き取らせることができるので持ち物には記名させていると,ある小学校の校長先生が話してくれました。
 名も無い草であれば何のちゅうちょもせずに抜き取れますが,名前を知れば抜きにくくなります。逆のケースもあります。旅の恥はかき捨てというのも,自分の名前が知られていないからです。匿名性はブレーキを甘くします。地域の中で大人たちが子どもたちの顔と名前を知ることが,非行への抑えになります。
 自分の名前は親が勝手に願いを込めて付けたものです。名前はもともと自分には必要がなく,人が使うためにあるものですから,与えられたものでいいようなものです。ところが,その親の願いが身に染み込んで,名前が自分そのものに思えるようになります。相合い傘の二人名前も,分身の役割を付与されています。
 人に名前を知られることは,目には見えないつながりができたことと同じように意識され,良くも悪くも我が身に跳ね返ってきます。名をはずかしめないと言えば古いですが,名前が持っている力を大事に使いましょう。

(No.24:リビング北九州:97年8月30日:1220号掲載)