《親だけで できないしつけ 親たちで》

 一人のときにはそれなりにつつましやかだと思っていた連れ合いが,気のあった友人たちと一緒にいるときには,見違えるほど不謹慎になることがあります。
 子どもたちが集団で宿泊するとき,行儀が悪くなることがあります。例えば,玄関で靴を乱雑に脱ぎっぱなしにしたようなとき,指導者から「家庭のしつけがなってない」というおしかりが出ることがあります。
 よく似たことはほかにもあります。子どもたちの社会性が育っていないことが,家庭でのしつけの不十分さとして責められます。親はそういうお叱りを聞かされても,途方に暮れます。家庭には社会性を育てる力は備わっていないからです。 社会性とは他人の場に入り他人と付き合うことです。家庭ではあくまでも親と子ですから他人行儀な関係は育ちません。集団行動を経験させる意味は,家庭では現れない,集団だから出現する行動を子どもに自覚させ,導くことにあります。家庭のしつけは決して万能ではありません。
 式典のような改まった場に入ることを嫌う若者が育っています。緊張して苦になるからです。緊張に耐えることができない弱さは,訓練の不足です。小さいころから改まった場に親と同席するしつけができていれば,緊張感に耐える力を持つことができます。
 自分の家庭ではできない社会性のしつけをするためには,他人の家にお邪魔することが最も手近なやり方です。家庭間のしつけです。よその家での客としての緊張に満ちたしつけがないから,ゆるやかな公共の場でもぶしつけが現れます。「他人の飯を食う」というしつけが,子どもの社会性の養育にとっては肝心なしつけなのです。

(No.26:リビング北九州:97年9月20日:1223号掲載)