《がんばれば 疲れがたまり 人責める》

 連れ合いが地域のある団体の班長のような役を引き受けています。連絡,集金や会議などのほか,地域行事への協力などに駆り出されています。忙しそうですが,みんなと和気あいあいとやっているようです。
 地域や職場ではだれかが何らかの役割を引き受けなければなりません。そのときほかの人の協力を得られないという嘆きが出ることがあります。人のお世話は気を使うものです。できて当たり前,何かしくじると責められるのではないかと心配です。いいことは何もありません。なるべくなら世話役など引き受けたくないものです。そこで順番制が登場します。順番で引き受けた人でも忙しい中で皆のためにと思ってがんばっています。そのがんばりが災いします。無理して張り切っているから,「非協力的な人は許せない」と愚痴や非難になります。
 子どもの世界でも同じことが起こります。みんなが仲間でなければならないという見えない抑圧があります。ちょっと仲間から外れていたらネクラと非難されかねません。一人でいたいときでも,陰で何を言われるかもしれないと思うと,無理して一緒にいなければなりません。「私はこれほど無理して仲間しているのに,なんであの子は仲間しないのか。許せない」という思いが働きます。
 人間関係には間合いがあります。基本はつかず離れずの間柄です。気持ちよく仲間から外れられて,気が向いたら元に戻れるというのが望ましい関係です。仲間であることに縛られるような集団は上等とは言えません。仲間である証を見せろといつも強制されていては疲れます。社会性とは群れることですが,もっと上手に群れる工夫をしてほしいものです。

(No.30:リビング北九州:97年11月8日:1230号掲載)