《立ち上がれ 父さんあなたは 男でしょ》

 今年の夏は,親にとっては暑い夏でした。その余韻は長く残っています。
心の教育がクローズアップされていますが,実は心の教育はかなり前からその必要性が指摘され,それなりの活動が全県下で行われていました。その一端に関わったとき,笛吹けど踊ってもらえないもどかしさを感じたものです。
 子どもに悪の手をかけることは常識的にはタブーの一つでした。それが,いとも簡単に犯されたことは恐ろしいことです。昔流の言い方をすれば,「弱いものをいじめるのは男として最も恥ずべきことである」という歯止めが消滅しています。この男のしつけを振り返ってみることも,今後の養育の糸口になります。
 養育について父親の出番が求められているにもかかわらず,その声は父親には届きかねています。そういう環境で育ってきた若者がおよそ男らしくない陰湿な行為に走っています。父親が男心を育てなかった結果として,幼い子どもに危険が及んでいます。父親は子どもを保護する役割をいやおうなく思い出させられています。養育の手抜きが保護の肥大を迫っています。
 ささいな手抜きが,時とともに大きな災いに拡大することは周知のことですが,それが子育ての場でも起こってしまったということです。
 父親不在という環境は力の暴発をコントロールするしつけができません。男として恥であるというしつけをなし崩しに消し去った後には,ただ逃げ回ることしか残されていないようです。
 わが子が被害者にならなくても,そのうちに加害者になるかもしれません。生きる術としての強さは,弱いものを踏み付けにすることではありません。

(No.31:リビング北九州:97年11月22日:1232号掲載)