《できること しないあなたは 冷えている》

 新聞に読者からの声を掲載しているコーナーがあります。腹が立ったことやうれしかったことなどが紹介されています。気配りが足りない現代の世相が垣間見えます。どうしてこんなに冷ややかな世間になってしまったのでしょうか。
 現在の豊かな社会を作り上げたシステムの基本は分業化です。そこでは人は専門家になります。社会のどんな営みにも専門家がいます。会社でも役割や係の仕事があり,分担しています。ところがこの専門家意識が高じると,世間は狭くなります。「なぜ私がしなければならないのか」とか,「それは○○の責任だ」といった守備範囲の切り捨てが横行するようになります。このように専門家意識には「余計なことはしない」という閉じこもり作用があります。そのために全体の流れを見失い,世間がぎくしゃくし,人間関係が冷ややかになっていきます。
 子どもが住む日常の世界でも,床に落ちている紙くずは「私が捨てたのではないし,掃除当番でもない」と放置されています。世間のぬくもりは,他人から余計なことをして頂いた時に感じられます。「しなくてもいいことだけど,次の人のためにちょっと手をかけておこう」という気持ちを受け取った時,人の手のぬくもりが伝わってきます。
 地域で何かの世話役を頼まれたとき,「私よりあの人のほうが慣れているから」と押し付けてしまうのも専門家意識にこだわるからです。あげくが心地よく世話役を引き受けた人を陰で「あの人スキね」と揶揄する声も聞かれます。
 温かな世間とは,人が自分にできる余計なことを,だれの責任という枠にこだわらずに実行し合うことで成り立つ世界です。

(No.32:リビング北九州:97年12月6日:1234号掲載)