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お正月には家族そろって連れ合いの手作りの雑煮とおせち料理を頂きます。子どものころは鏡もちを削り取って食べることで年取りをしていましたが,いつの間にかやらなくなりました。連れ合いも年取りを拒否したがっています。節分には年の数だけ豆を食べ,誕生日のケーキには年の数だけローソクが立ちます。
門前に短い言葉を掲げているお寺があります。今回の言葉は「一怒一老、一笑一若」でした。目にしたときは,あくなき若さの追求に余念のない連れ合いに,ぜひ話しておかなければと思っていたのですが,すっかり忘れています。
久しぶりに出会った人に「変わっていませんね」と言われることがたびたびあります。単なるお世辞なのでしょうが,そう言われると複雑な思いがします。年を重ねるにつれてそれらしく変わっていくことを密かに願っているからです。いつまでも若くありたいと思うのは本能的な健康志向なのかも知れませんが,若くなければいけないということになると,年をとることがつらくなります。若さにこだわっていると,老いの姿から目をそらしたくなります。そのような雰囲気の家庭教育のためか,子どもたちも大人になりたくないと思い,お年寄りを汚いと思うようになっています。子どもは若さを誇って,大人やお年寄りを拒否しています。親子ともに将来はこない方がいいというものになっています。
若さというのは将来を信じることから生まれます。今のままで止まりたいという思いを持てば,それが若さを枯らします。子どもたちにはつらつとした若さを取り戻すには,親も年を迎える楽しみを持つように考え直してみることが求められています。
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