《流れ星 願いを聞かず 消えていく》

 週に一度出先から直帰する曜日があります。連れ合いより帰りが少しばかり早いので,バス停まで買物袋を出迎えに行きます。冬は暮れるのが早く夜空です。バスの到着を待つ間,星空を仰ぎ見ます。子どものころ田舎で見た満天の星は見えません。流れ星に願いをかけた昔を思い出します。
 幼い子どもたちに「流れ星が消えるまでの間に願いごとをするとかなえられるよ」と教えると,じっと夜空を眺めていました。流れ星はあっという間ですから願いを言う暇がないとこぼしていました。よく聞いてみると,流れ星を見てから願いごとを考えていたようです。これでは間に合うはずがありません。
 星に願いをかけてかなうと言われてきたのには,条件があります。一つはいつも口に出せるように大切な願いを一途に思い込んでいること,もう一つは星のように遠くの願いに目を向けていると,身辺廻りにある余計な雑念に近づかないですむことです。まっすぐに願いに突き進んでいるかどうかの試金石が星にかける願いです。星は願う人の一所懸命さをじっと見ているだけなのです。
 豊かな時代に生きていると,願いを見つけることは簡単ではありません。また高度化した社会では,個人の願いは小さすぎて,「どうせ何をしたってどうにもならない」といったあきらめが先立ちます。子どもの願いは取りあえずお金になっていると言われています。お金は願いではなく単なる手段にすぎません。
 豊かであることは願いを奪うことになりました。貧しい時代に子どもが持っていた「お母さんを楽させてやりたい」という願いは,今では通用しません。
 もう一度星を見上げて考えてみようと思います。

(No.36:リビング北九州:98年1月24日:1240号掲載)