《向き合って 夫婦親子は 疲れてる》

 夕食後テレビの前に連れ合いと座っていると,一日のあれこれをしゃべってくれます。バスの中で傍若無人に子どもを叱る親子連れがいて,聞かされる方はたまらないとぼやいています。路上で連れ立って歩いている男性がそれぞれ携帯電話で話していたのを見て,二人でなぜ話をしないのかと首をかしげています。
 講演や講義のときに,講師は立ちんぼうでしゃべりづくめなのに聴衆はゆっくりと座って居眠りをしていると無礼ではないかという思いがわきます。しかし落ち着いて考えると,聴いていただいているのだから立っていて当然なのだということになります。聴いている方も眠っているふりをするよりも起きているふりをする方がつらいのだからあいこです。何か一つ聴きとってもらえれば充分ですから押しつけは遠慮します。
 テレビ体操を見ている老人が,画面の中の指導者の一人が同じ向きに立って動いてくれると覚えやすいと言っているのを聞いたことがあります。人は向かい合わせに教えても覚えません。教室で先生と生徒が向き合って,逆向きで教えているから覚えづらいのです。そこで板書をしますが,板書はノートに書き取るための援助であると同時に,同じものを並んで見るという大切な意味があります。
 向き合っているとお互いに緊張します。その緊張がコミュニケーションのハードルになります。子どもの宿題をみてやるときも,ちゃぶ台で横に並んで座る方がいいでしょう。親の後ろ姿で育てるということも同じ向きで教えることです。夫婦もソファで向き合うのはたまにして,ふだんは並んで座る方がくつろげます。見つめられることは案外とエネルギーを消費します。

(No.39:リビング北九州:98年2月14日:1243号掲載)