《子どもには 重い荷物は 似合わない》

 どういうつてで送り付けてくるのか不思議なのですが,さまざまなカタログが届きます。連れ合いは見るだけと言いながら,結構楽しそうにページをめくっています。私も雑貨の欄をながめます。またスーパーマーケットなどで催される100円均一が好きで,買物の途中でよく足を止めます。面白いものや便利な小物が目に留まるとつい買ってもらおうとしますが連れ合いに却下されてしまいます。
 あれば便利なものを買うのはささやかな豊かさの実感です。しかしあれば便利なものは裏返せば無くても困らないもの,つまり余計なものでもあり,ふだんは使わずに眠っているのがオチです。不要品交換会などに出品されるものはその手のものがよく見受けられます。出品してすっきりしたと思うのはなぜでしょう。
 同じようなことを子育ての場でもしてしまうようです。将来のために役に立つからという理由で,子どもにあれやこれや背負わせていないでしょうか。いずれ必要になるものとは今は必要でないものです。子どもは大きくなるので大きめの服を買い与えることがありますが,それでも成人して就職のときに必要な洋服を児童のために買い求めることはしないでしょう。本当に必要なときは古びていて役に立ちません。今必要なものだけを与えれば子どもはもっと身軽になれます。
 学校週五日制のもとで空いた時間をどう埋めるかという課題がありましたが,空いたままにしておくという選択もあります。子どもが今自分に最も必要なものをしまい込むことのできるスペースを確保してやるということです。家庭での子育ては物や指導を与えることで成立しますが,子育ちには与えられないことも大事なことなのです。

(No.40:リビング北九州:98年2月28日:1245号掲載)