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連れ合いが男の子は分からないと漏らすことがあります。私に女の子がいたら分からないと言っていたかも知れません。親のしつけの中で男の子,女の子という意識が強くなってくるのは,子どもが小学校高学年から中学生になるころであるという調査結果があります。わが家の子どもたちがちょうどその時期に当たっていました。連れ合いが持っている男の子はこうあってほしいというイメージと,現実のわが子とのギャップが見えてきたのでしょう。
連れ合いがしつけに迷いを抱いているとき,「男の子はそういうものだよ」という方便で出口を開いてやることもありました。若い人の間でお互いの性格や行動のパターンを血液型のせいにして,なんとなく納得してしまう方便と似ています。もちろん方便に真実があるわけではありませんが,そうすることによって干渉できない部分を残さなければ,お互いにしんどくなります。
人は何か理由を見つけなければ落ち着かないところがあります。例えばお年寄りに対しては「長寿の秘訣はなんですか」,結婚する人には「どういったところを好きになったのですか」といった質問をします。何でも分からないと気が済まないという欲求も度を越すと苦しくなります。自分がいつ死ぬのかということが分かったら,恐いでしょう。分からないことがあるから,尊敬や好意,優しさや勇気,そして希望が醸し出されます。親子の信頼も,お互いの分からないところを許し信じ合うことではないでしょうか。
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