《ルールとは ひとに課さずに 自らに》

 仕事帰りのバスを降りて,家路につきました。私の前を一人の女性が歩いています。同じ方向の薄暗くなった道をたどっているのは二人だけでした。住宅地の中の曲がりくねった細い道を,2メートルほどの間隔で私が追いかけるような状況になりました。しばらくすると前の女性が何度も肩越しにちらりと振り返るようになり,ついにはその女性が走りだしました。どうも私が薄気味悪い男と思われてしまったようです。それはないだろうと憮然とした目で後ろ姿を見送りながら,やがてたどり着いた交差点で別れることになりました。私の住宅街にも不審な影を感じてしまう女性がいるということがさみしくて,考えさせられました。
 「子ども110番の家」をあちらこちらで見かけるようになりました。子どものことを気にかけているという地域の意思表示は大切なことです。しかしそのことが新たな状況を生みだしています。中学生が小学生を「110番の家しか駆け込めないだろう」と追いかけ回す事例が現れています。シルバーシートがお年寄りを「お爺さんはあっち」と普通の席から追い出す口実に変化していることと同じです。なにも優しい社会への運動に水を差す積もりはありません。何らかのルールを作り出せば,思いもしない形で逆用されてしまう現実があるということを知って頂きたいだけです。「小さな親切大きなお世話」と言いたくなるのが人情なのでしょうが,冗談でもしてはいけないところまで行き過ぎてしまうことは困りものです。
 黄色信号は止まる信号なのにまだ行けると考えるドライバーと同じ発想が,世間の常識になりかけています。けじめとは速めにブレーキを踏むことです。

(No.42:リビング北九州:98年3月14日:1247号掲載)