《連れ合いは 四十路に入り 美を越える》

 連れ合いが「昔から美人薄命って言うけど,いくつくらいなんでしょうね」と話しかけてきました。別に答を求めているわけではないのですが,なんとなく気になるのでしょう。「あなたは大丈夫だよ」と言いかけてあわてて口をつぐみましたが,「私は大丈夫だけど」とつぶやく連れ合いに,「そうだね」と返事をすることができない沈黙が漂いました。
 ごく最近の例ではダイアナ妃の悲劇があります。36歳でしたが,モンローも同じ年齢で亡くなっています。楊貴妃は37歳,マリーアントワネットは38歳,クレオパトラは39歳で非業の最期を遂げています。三十路の後半が薄命の壁のようです。幸か不幸か連れ合いははるかに年を過ぎてそばにいてくれます。
 子どもが産まれるときは,とにかく無事に生まれてくれさえすればいいと願っていますが,成長するにつれて「できる子ども」を目指すようになります。そうなると親はいわゆる保護者に変身します。少なくとも子どもはそう感じているようです。愛を注ぐのではなく,保護責任から干渉や指示を与えてしまうのです。
 親とは子どもがいてくれるだけで満足するものではなかったでしょうか。もし子どもが親より先に逝ったら,最大の親不孝と言われてきたのも頷けます。
 親が子どもにしてやれる最大のことは,生きていてよかったという実感を持たせることです。そこに産んでくれてありがとうという親の甲斐が報われる感謝が得られます。何も感謝される必要はありませんが,親にとって子どもの命が最も大切なものであるという愛をしっかりと伝えることです。生命の重さが子どもたちの間で軽くなっていることが気がかりです。

(No.46:リビング北九州:98年5月9日:1254号掲載)