《長生きで 財産みんな 親のもの》

 高齢化社会とか長寿社会が迫っていると言われています。そして話題の中心は若年層による介護の人的かつ金銭的負担が増えるということです。その大合唱の中でお年寄りは居たたまれない思いをしています。まるで長生きすることが迷惑だと言われているようなものだからです。これから年寄りになろうとしている人も,長生きはしたくないなと何となく憂鬱になります。将来を悲観的に見ようとする社会は豊かではありません。だからといって何も考えない極楽とんぼを望んでいるのではありません。問題の立て方にバランスが足りないだけです。
 子どもたちを受験への道に駆り立てる親の姿勢が批判されます。競争による弊害を避けるためにさまざまな立場の識者から改善策が提案されても,それは深い所にある親の切実な思いに届いていないのでなかなか根付くことはありません。
 人生50年時代の親は子どもが成人するとすべてを譲り渡し,わずかな余生を過ごすのが通例でした。ところが長寿社会では,親は子どもが一人前になっても隠居できずに,親のものは親のものとして握っていなくてはなりません。子どもにしてやれることは一人立ちできるように学歴という無形の財産を手に入れてやることしかないのです。こうして別所帯の核家族として分家していきます。
 子どもの人生は子どものものという考え方に,親は自分の長い生活を守るためにどこかで便乗したのかもしれません。長寿という幸せを手にしたことによって暮らしの構造が変わってしまっています。21世紀の家族観とか人生観を作り上げるのは真っ先に長寿先進国に突入した私たちです。今その陣痛の時を迎えているという気がしています。

(No.47:リビング北九州:98年5月23日:1256号掲載)