《バカなこと できて子どもと 仲良しに》

 猫の額ほどの庭にある植木が茂ってくると,枝を落とすように連れ合いに頼まれます。小さな枝はハサミで,大きな枝はノコで切断します。「痛いだろうな」とせつなくなったり,「せっかく苦労して伸びたのにどうして切られるの」と責められているようで,心なしか手の動きが鈍ります。「ごめんよ」と詫びながら切り口をなぜてやります。
 地面に目を下ろすとありさんが忙しそうに動き回っています。連れ合いに「ありさんはどうして裸なのだろうね」と問うと,また始まったという顔で「ありさんに聞いたら」と軽くいなされます。「ありのままに生きているからさ」と答を言うと,「バカなことばかり言ってないで早く済ませましょう」とせき立てられます。歩くとき,ありに危害を加えないように足の踏み場に気を配ります。ときどき歩幅が乱されますが,「生きてるね」と応援しながら励まされています。
 家庭でパパは大きな子どもになります。よく言えばロマンチストですが,あくまでも現実的なママから見れば幼稚です。この差を子どもは敏感に見抜き,お父さんと遊ぶのが好きです。幼さがあるから子どもと通じあい,バカな遊びができるからです。子どもと一緒になってどろんこ遊びをすると,ママに二人並んで叱られます。ママの言い草は「もっとためになることをして遊びなさい」ということです。子どもは「ためになることは面白くない」と思っています。
 子どもにとっての遊びは学びときっちり区別できるものではないというくらいの,あっさりとした捉え方でいいでしょう。突きつめていくと身動きできなくなるだけです。ためになることにもアソビというゆとりを持ちたいと思います。

(No.51:リビング北九州:98年7月25日:1265号掲載)