《キレル人 ほめているのか 恐い人》

 物事をてきぱき処理できる人は「デキル人」と呼ばれます。連れ合いはひいき目に見てもできる人とは言えません。だからこそカバーしてあげるという私の出番があります。割れ鍋にとじ蓋という関係にある連れ合いは,いろんな面で私にとっては「デキタ人」です。一字違いですが,意味は大きく違います。
 快刀乱麻の処理をする人を「キレル人」と称えていましたが,今は意味がまったく変わっています。とても恐い人をイメージさせます。カミソリのようにキレルという類推から,いつの間にか堪忍袋の緒がキレルという風にシフトしています。堪忍袋が丈夫な紐で二重にしっかり結んであればいいのですが,今様の我慢の袋はマジックベルトでぺたっと張り付けて止めてあるだけのようです。
 世間の風潮を概観すると,やたらに怒りが蔓延しています。怒りが煽られて我慢することがよくないという暮らし方では,堪忍袋は用をなしません。子どもたちに忍耐力がないと言われていますが,社会にどれほどの忍耐力があるでしょうか。言ったものが勝ち,黙っていると虐げられるという行動価値観があれば,取りあえず怒りにまかせた言動をせざるを得ません。
 自分の心に忠実に生きることが推奨されているようですが,人の心には欲望が渦巻いている裏面があります。自分の心のままに社会的に生きていけるのは,孔子ほどの人にしかできないことです。凡人にはやはり堪忍袋が必要です。ひもが緩んでいると,わがままとして表面化します。そのわがままが拒否されたときは潔く袋に押し戻せる気働きが健全な社会性です。自省というフィルターを心にかけられる人が,キレナイでデキタ人なのでしょう。

(No.52:リビング北九州:98年8月1日:1266号掲載)