《パパが言う 人の嫌がる ことをしろ》

 家庭や職場には雑用がたくさんあります。細かな雑用がなければ仕事は成り立ちませんが,雑用が好きな人はいないでしょう。そこでつまらない仕事と考えて誰かに押しつけてしまおうとします。連れ合いも会社で若い社員が放り出す雑用を仕方なくカバーしてやっているようです。暮らしの中にも,必要なことなのに人が嫌がることはたくさんあります。逃げてはいけないと分かっていながら,つい逃げてしまいます。外で働いているという思い上がりが家庭を雑事の場と見下して,知らないうちに連れ合いに押しつけているのではと気にしています。
 パパから「人の嫌がることをしなさい」としつけられている子どもが,人の嫌がることをして皆に嫌われたという笑い話があります。パパの教えは嫌な作業は自分から進んで引き受けなさいということだったのに,子どもは「自分が望まないことは人に施すな」という教えに反する行動をしてしまいました。
 雑用にはものごとの見方に関する豊かな栄養が含まれています。捨てられている種子や果実の皮に栄養があるのと同じです。雑用をこなすことは作業の全体の流れを見る目を育てます。個々の華やかな仕事だけでは物事は成り立ちません。社会的活動の本質は段取りですが,雑用はその一つ一つの段をつないでいく作業です。例えば,仕事の後の片づけは次の作業への段取りなのです。玄関で履物を揃えるのは次に履くときの準備です。資源循環のリサイクルも雑品の価値に気付くことから始まっています。雑用と仕事を差別する思考は,思考の方が雑になっていると言えるでしょう。
 雑用を洗い流したさらっとした仕事は,つながりを失って役に立ちません。

(No.53:リビング北九州:98年8月29日:1269号掲載)