《つき合いは 甘えと遠慮の せめぎ合い》

 私をこの欄に縁づけて下さった方がいます。その方から公民館での講演依頼を受けたときに「親と子の間合い」という題を頂きました。間合いの取り方が下手になったことがお互いを疲れさせていると判断なさってのことでしょう。
 人間関係をみる視点の一つとして間合いがあります。子どもたちが親や先生や友達との間合いを読み切れていないことによって,さまざまな衝突が起こっています。社会性の未熟さと言うこともできます。人との間合いはまず最初が母親との密着感を切断する父親との間で,次が競合や協調を強いられるきょうだいや友人との間で,仕上げが地域の人たちとの間で会得されるものです。地域の人々とのつき合いでは,相手との親密さに応じたふさわしい間合いを取るために徐行したり,一旦停止したり,通り過ぎたりといった臨機応変な対応を経験することができます。地域は人との間合い感覚を仕上げる仮免許の練習場なのです。
 この間合いを学ぶ場は子どもの成長とともに家庭から学校,地域へと段階的に広がっていきます。ですから地域の教育力は本来は中学生以上から効き始めるものです。しかし今は,若者が都会での独り暮らしという形で地域から社会に飛び出してしまい,間合いの仕上げを受けられなくなっています。
 生活圏の拡大は地域と社会の垣根をあいまいにしてしまいました。同じ地域に住む者という地域意識は消えて,何となく社会につながっているというあいまいな状態です。人との間合いをどう取ったらいいか分からないまま,守りに入って閉じこもるか,やたらに虚勢を張って突っかかっていくか,両極端に走っているような気がします。

(No.54:リビング北九州:98年9月5日:1270号掲載)