《捨てる人 そのまたゴミを 拾う人》

 朝のひとときのテレビタイムの時です。ゴミが散乱している光景が映し出されています。観光客が残していくのは仕方がないとしても,散らかしていきます。連れ合いがその惨状を見て「信じられない」と嘆いています。持ち帰ることがエチケットだと思っていたのですが,今どきエチケットは廃れています。もしかしたらエチケットという言葉も沈殿してしまったのかもしれません。
 住みやすさの実現は人の心がけだけではうまくいきません。仕組みの整備をすることが不可欠です。ゴミを片付けるシステムを構築しなければなりません。設置してあるゴミかごが一杯になってあふれていることがあります。回収が滞っているからです。かごを設置することはほんの入り口であって,ゴミの流れという膨大なシステムを背後に整備しておかなければなりません。当然費用と人手がかかります。そこで選択肢が発生します。費用を負担するのが嫌なら個別にお持ち帰りをするか,持ち帰りが面倒ならゴミ税金とかゴミ罰金という形で金銭的な負担をするかのいずれかです。どちらか一つに徹底できれば街からゴミは消えるはずです。法的に後者を選んでいる国もあるようですが,もし強制が嫌だったらエチケットという暮らしの歯止めを復活させなければならないでしょう。
 家庭で出てしまうゴミがどのように流れていくのか,子どもと一緒に考えてみることです。焼き鳥の串を折ってくるむようにゴミ袋に入れる気配りは,ゴミの流れという大きなシステムを知ることから始まり,ひいては節税ならぬ省税につながります。若者がゴミを散らかすのはシステムの中の存在という自覚をしつけられていないからです。

(No.55:リビング北九州:98年9月19日:1272号掲載)