《身に付いた 学びは人を 楽しませ》

 連れ合いを迎えに会社の入っているビル前に駐車していたときのことです。後から来た国産高級車がパーキングメーターに横付けしようとして,端に駐車していた私の前の空きに入れずにいます。少しバックしてやるとやっと駐車できました。ところが降りてきた恰幅のよいドライバーは何の会釈もなく当たり前といった顔で立ち去ろうとし,さらに連れの若い女性が料金をメーターに入れようとすると手で制止しました。後には赤ランプが点滅しています。不作法でケチでなければ高級車には乗れないのかと身にしみた一幕でした。
 一期一会という伝統がありました。それは過去形になったのでしょうか。世の進歩はスクラップ・アンド・ビルドの形を取りますが,一期一会に代わる何かを築き上げているでしょうか。国際化や情報化の時代と言われているのに,心は個人の殻の中に閉じこもりつつあります。人づきあいの広さだけが目立ち,深みが失われているようです。話していて面白い人はたくさんいますが,楽しくなる人,話してよかったと思える人が少なくなりました。ただ講演の講師にお招きを頂いた折りに一期一会の楽しさを下さる笑顔の美しい方に出会うことがあります。みんなの世話を一所懸命に楽しんでいる普通の方です。
 今生涯学習の時代だと言われています。自分の趣味のためにしているなら,それは孤独な学びであり,幸せの深みはないでしょう。子どもの学びも自分の成績のためだったら,決して楽しいものではないでしょう。古来の学びは一期一会という他人に優しさや思いやりを目一杯に提供するもてなしを編み出しました。生涯学習はどんなものを生みだしてくれるのか,これからが楽しみです。

(No.57:リビング北九州:98年10月3日:1274号掲載)