《生きる意味 子どもに問われ 立ち往生》

 更生保護婦人会という支援組織があります。私の町でこの組織を立ち上げるために,とりあえず今年度から婦人会の一部門として発足させることになったようです。連れ合いが何かの社会的活動がしたいと参加しています。ある日の会合の時に,資金集め活動の一環として皆でアクリル毛糸のタワシを編んで,町民主催の文化祭の会場で販売することが諮られました。その際従来から婦人会で実施している不用品即売会の売上金を一部回してもらえば済むのではないかという提案があったそうです。会長からは不用品売上金の使途は決まっており別口に回すことはできないという事情説明がありました。「活動の意味」はお金を都合できるかどうかではなくて,自分の手で収益金を獲得することだと皆が納得するチャンスを逃しています。
 一見するとつっぱり然とした高校生がカウンセラーを訪ねました。しばらく話しているうちに突然「先生は何のために生きているんですか」と問いかけてきました。思いもしない質問に先生は困ってしまいました。それでも「私にもよく分からない。しかし毎日その答えを探して生きている」とまっすぐに答えました。友達は成績や試験,それ以外にはファッションなどの話に夢中で,「生きている意味」を話しかけても無視されるだけだったそうです。自分の存在意味を分からなくては生きる気力が湧かないので,悪戦苦闘していたのです。先生とまともに話すことができて,高校生は次に訪れたとき染めた髪を元に戻していました。
 人は日々いろんな活動をします。することが多くせき立てられて,その意味を考えるひまもありません。でも意味の壁にぶつかってしまう若者もいます。

(No.59:リビング北九州:98年11月7日:1279号掲載)