《汚いと 手を控えれば 触れあえず》

 幼い子どもは何でも触りたがります。店では母親の買い物についてきた子どもが商品を触りまくります。それを注意しない母親に店の人は苛立っています。連れ合いもタマネギなどを買うときに触って選んでいます。触って何が分かるのでしょうか。洋服も肌触りが品選びの大事なチェックポイントです。
 情報化社会で発達した機器は視聴覚機器です。視聴覚は全て離れたところから環境に関する間接的な情報を得るための感覚です。近づいて分かるのが嗅覚,直接に接触して感じるのが味覚と触覚です。味覚は食物と消化器との直接接触が安全でバランスが保てるものであるかどうかを感じる生命維持センサーです。触覚は人が生きることそのものに関わる感覚です。あまりに大事な感覚ですから普段は意識されてはいません。心臓が鼓動しているのを意識している人はいないのと同じです。もし触覚を失ったら人は生きてはいけないと言われています。長い正座を強いられて足がしびれた経験を思い出して下さい。立てないでしょう。座るという行為もお尻に触覚があるから可能なのです。物が持てるのも掌の触覚のお陰です。触覚がなかったら人は寝たきりになって身動き一つできなくなります。
 触れ合いという言葉は,心の接触を表現します。遠くから眺めているのではなく,そばに寄り添って肌の温もりを介して心を通わせることが基本です。子どもをあやすとき,お年寄りを慰めるとき,胸や手で触れ合っていることが安心の形です。身ぎれいさを追い求めている先に,触れるという感覚が封じ込められているような恐れを感じます。
 生きることは触れることですから,あまり汚いと思わないでください。

(No.60:リビング北九州:98年11月28日:1282号掲載)