《父の手に 魔法を見てる 子の瞳》

 お父さんの出番という声が聞こえる割には,お父さんは子育てに無頓着です。跡継ぎを育てることを忘れています。「今どきの若者は言われなければ何もしない」と嘆いていますが,そんな若者に育てたのはお父さんです。自分の子育てを反省すべき当人が部外者風を装っているのを見聞きするのは悲しいものです。
 子どもが「自転車のタイヤがパンクした」と言ってきます。そのまま自転車屋さんに持っていけば直してもらえます。しかし,そのときがお父さんの出番です。まず,子どもに近くの自転車屋さんかスーパーに行ってパンク修理セットを買って来るように言いつけます。子どもの見ている前でタイヤをはずし,チューブをバケツの水に浸けて穴を探します。ブクブクという泡が見えると,子どもはびっくりします。見えないはずの漏れる空気が見えるからです。お父さんが教えなければならないことは,修理をするための材料や道具をどうやって調達するかという作業の出発からの全過程です。
 子どもたちの活動に際して,予め大人がすべてお膳立てをしているから,子どもがいざ自分で何かを始めようとしても何から手をつけてよいのか分かりません。子どもから最も大事な手始めという体験を奪っています。創造性を育てる意味からも0からの出発を家庭で体験させることが大切です。たとえ間に合わせの準備で自転車屋さんのまねごとであってもパンクが修理できると,お父さんはすごいと見直されることうけあいです。やり遂げることより,やり始めることに育ちの芽が潜んでいます。

(No.6:リビング北九州:96年9月14日:1173号掲載)