《嫌なもの 所払いする 不人情》

 お奉行が罪人に温情をかけて江戸十里四方所払いという刑を言い渡しています。連れ合いはそれでは好き合った二人が会えなくなると不満げです。せめて期限を付けなければかわいそうだ言います。最後に登場したお奉行が近く恩赦があると笑顔で語りながら番組が終わり一件落着です。
 ところで所払いの処罰にはいつも割り切れない思いをしています。江戸の周りは悪人だらけにならないかということです。人々は小さな罪を犯した人をあたたかく迎え入れていたのでしょうか。そうなら江戸の人は冷たいことになります。
 体育の日に運動会が開催されますが,今年は前日に台風が近づいて来ました。幸いコースがはずれて当日は良い天気でした。開会の挨拶の中でも幸いという言葉が登場しました。私たちは幸いですが,一方で直撃を受けた不幸な地域もあります。難を逃れたことを単純には喜べません。案の定台風はまぬがれましたが,その後野菜の高騰でしっぺ返しを受けています。
 都会で出るゴミの山を田舎に所払いする発想も不思議です。ゴミは持ち帰りましょうと立て看板に書かれているように,自分のところで始末するのが原則です。都会のゴミは都会に留めておいてほしいものです。自分のゴミと同居するのは我慢できても,他人のゴミと同居するのは耐えられないでしょう。
 我が子のしつけ,例えば箸の使い方などを学校に委任するといった子育ては,子どもを家庭から所払いしているようなものです。他人は手伝いだったら引き受けてやれますが,押しつけられるのはごめんだと思うはずです。天災はどうしようもありませんが,せめて人災は出さないように気配りをしたいものです。

(No.62:リビング北九州:98年12月19日:1285号掲載)