《情報の 信頼性は 人にあり》

 最近情報ネットワークの中に仕込まれている犯罪が増えてきました。連れ合いのような主婦と仕事を掛け持ちしている暮らしでは,パソコンネットワークは無縁なものなので,実感がないようです。仕事上メールやインターネットを利用していますが,相手が分かっている中での情報のやりとりですので,ウィルスに気を付けている程度です。
 不特定多数の人との情報交換には警戒心が必要なのは常識だと思っていましたが,どうも若者は情報を軽く扱っているようです。さらに事件報道に接すると手軽に届けられる薬物を信用しすぎているという感想がわきます。薬とは本来は毒であり,かろうじて限られた処方でのみ薬になっていることをわきまえていません。口にする物への無防備に身がすくむ思いです。
 知らない人は人ではないとでも言いたげなクールな人間関係の中にいる一方で,画面にメッセージを送ってくる人は簡単に信用してしまうもろさが不思議です。人を見る目がディジタル的で,信頼性が100%か0%かの二者択一です。半分だけ信用するという意地悪いつきあい方ができないようです。
 書類やメッセージの形式がきちんと整っていれば,それだけで内容を信用してしまうのでしょうか。情報の交換は手段であって,大事なことはその向こうにいる人間です。情報ネットワークではその人間が見えないところが注意点です。
 テレビでは報道する人の名前が提示されていますが,新聞では記事が無記名です。無記名であることで信頼を表示しているつもりかもしれませんが,それは乾いた信頼のように思えます。記事の向こうに人を感じさせないからです。情報の信頼性は人にあります。

(No.64:リビング北九州:99年1月23日:1289号掲載)