《習うより 慣れろと構え 子は育つ》

 息子が使っていた旧型の携帯電話を譲り受けて持ち歩いています。もっぱら着信用としていますが,家族しか番号を知らないのでめったに呼び出し音がなりません。家族への連絡先は一桁の短縮登録をしています。自宅は0番を押して開始ボタンという具合です。
 連れ合いが夜間の会合に出かけるときには,運転手の呼び出しのために持たせます。使いはじめのことでした。会合が終わり自宅に電話をしようとしたとき,一桁の番号を押せばいいことは覚えていたのですが,何番かを忘れてしまいました。そこで携帯電話を手にしながら,公衆電話を探したそうです。同行した人は不思議そうに眺めていたようです。自宅の番号は知っているのですから普通に携帯電話を使えばよいのですが,思いつかなくて,教えられて気づいたそうです。
 簡単便利な機能は新しい操作を覚えなければならないために,かえって混乱を引き起こすことがあります。使い方を教えるときに便利な方法を強調し過ぎたために,普通の使い方を追い出してしまったようです。7桁の番号を呼び出すという手動操作を電話機に任せたために,登録されたその操作を電話機にさせるための呼び出し法が短縮という形ではあっても新たに追加されます。電話機が人の手による操作を奪ったために,わけが分からなくなります。機器の仕組みを理解しなければならないからです。操作は簡単になるかわりに,わけは複雑化します。
 子どもは新しい機器に驚くほど早く慣れ,ゲーム機の複雑な機能を苦もなく操ります。子どもは操作とその結果を経験します。わけなどにはお構いなしです。大人がつまずく複雑なわけなどは経験で簡単にくぐり抜けられるからです。

(No.68:リビング北九州:99年3月6日:1295号掲載)