《平凡に 繰り返す日々 楽しんで》

 連れ合いがときおり広告の紙にいたずら書きをしますが,「同じ漢字を何回も書いているとおかしくなる」と言います。書いている漢字が本当に正しいのか自信が無くなってくるというのです。そんな経験はありませんか。他方うろ覚えの漢字を書いているときに何か違うなという感じがつきまとうと,どこかが必ず間違っています。ところが正しい漢字を書いているときは何も感じていません。その無感覚が度重なると不安のもとになるのです。
 毎日仕事と家事の同じ繰り返しで,私の人生はこれでよいのかという不安の湧くことがあるでしょう。日々の暮らしが無自覚に進んでいくと,何も感じないということに対して不安が湧いてきます。
 ひところ子どもたちの特徴として三無主義という言葉がもてはやされました。無関心・無感動・無責任の総称ですが,無という状態は不安を生みだし,そのまま放置されるとやがていらつくようになります。それが現在の状況なのです。
 間違ったときに人は何かおかしいと感じることができますが,間違いを起こしようのない管理された状況に置かれると,無自覚の不安にさいなまれます。その不安から逃れるためにわざと間違いを犯し,何かを感じたいと願うようになります。安心できる場を壊してでも何も感じない不安を解消したいと思うほどです。
 人の悪口が座を盛り上げるのは,自分たちには間違いを見つける感覚が正常に作動しているという共通の確認ができるからです。何も感じないことに耐えられない宿命は,生きていることの出発点です。なぜなら間違いを見つけたときに,やるべきことが見つかり,明日に向かって期待が生まれるからです。

(No.69:リビング北九州:99年3月27日:1298号掲載)