《胸元で 受け取る心 愛になる》

 連れ合いが「恋と愛の違いって知ってる?」と問題を投げかけてきました。会社でちょっとしたしゃれた会話を聞いてきたので,私を試そうとしているようでした。私がメモリーからとっさに引き出したファイルにはこう書いてありました。「恋は下心,愛は真ん中で心を受け止めるもの」です。蛇足ながら恋という字は下に心を書きますが,愛という字は受けるという漢字の中央に心をはめ込みます。
 「やっぱり。知っていると思った」と連れ合いはがっかりしているようです。連れ合いは普段言葉のあれこれについての話を聞かされているので,たまには私に向かって話してみようと勢い込んで帰宅したのでしょう。問われた一瞬どう答えたらよいのか迷いましたが,とにかく精一杯の答を出しました。それが当たってしまいました。「分からない」と答えて連れ合いの小さな心を受け止め喜ばせてやった方がよかったのかもしれません。
 子どもとじゃれていると,父親に向かって一所懸命にぶつかってくることがあります。父親は強さを示すためにがっちりと受け止めます。子どもは同級生にも同じ勢いでぶつかりますが,相手は子どもですからたまりません。押し倒されてしまい,乱暴な子どもという印象を持つようになります。父親は子どもだったら受けきれないという限度を教えるために,たまには負けてみせなければなりません。腕力を手加減する訓練は父親の役割です。
 連れ合いとの会話は別です。負けてみせる優しさもあり得ますが,手加減は対等な関係を失うことになります。連れ合いからのどんな言葉でも真ん中でしっかり受け止めることが大事だと思っています。時々トンネルもしてしまいますが。

(No.73:リビング北九州:99年5月22日:1305号掲載)