《よく見聞き 心開けば それだけで》

 出がけになると連れ合いはものを探します。そのたびに「寝る前に明日の準備を済ませるように」とアドバイスするのですが,いっこうに効き目がありません。
 人は何かを失ったときに,その大切な意味を悟ることがあります。夫は家族を養うために仕事一筋で,それが正しいと信じています。もし妻が育児ノイローゼなどで子どもと心中したら,恐らく残された夫は後悔しても追いつかないでしょう。まさか自分の身にふりかかるとは思いもしないのが普通です。
 後悔しないためには,もしかしたら自分の妻も何かに悩んで追いつめられていないかと恐れてみることです。気配りというのは予見することであり,間違いが起こりうると恐れ,よく見聞きし,心を対象にまっすぐに向けることです。そんなはずはないと思いこみ目をそらせていると,気配りは封印されたままです。
 「うちの子に限って」という言葉は,親が我が子を絶対的に信頼している麗しさです。しかし,その信頼はわが子が悪いことをしでかさないという思いこみとは違います。そのつもりがなくても,ついはずみで,うっかりして,知らないうちに,どうしようもなくて,人は間違いを犯します。その可能性は常に考えておかなければなりません。子どもが無限の可能性を持つということは,良い方向にも悪い向きにも当てはまることです。そんな子どもを丸ごと抱え込み,なるべく良い方向に育つようにと気配りするのが親の務めです。
 連れ合いは一日のあれこれを洗いざらいぶつけてきます。緊張した一日を終わるためにはある程度のガス抜きが必要で,聞き耳ずきんの役を引き受けていれば,朝には連れ合いのさわやかな笑顔が待っています。

(No.75:リビング北九州:99年6月19日:1309号掲載)