《ハトねらう ネコの邪魔する お節介》

 地下鉄駅に向かう途中並んだ自転車の側を通っているとき,地面に伏せている三毛猫が目に止まりました。すぐそばに人が近づいたのも気にせずまっすぐに視点を固定しています。しっぽは高く宙に伸びゆっくりと揺らめいています。何をねらっているのかと猫の視線をたぐってもそれらしい獲物は見あたりません。先を急いでいたのでそのまま数歩先に進んだときです。自転車の合間に何かをついばんでいる一羽のハトが見えました。ネコは3mほど先にいるハトをねらっていたのです。ハトは全く気づいていません。どうなるかしばらく見物していましたが,あまりのハトの無警戒ぶりに危険を感じ,ハトに近づいていって逃がしてやりました。自宅の庭でスズメがネコに襲われた光景を思い出してしまったからです。
 ハトにすれば,せっかくエサを見つけたのに邪魔をする嫌な人間に思えたことでしょう。ネコのほうでも,エサをフイにした憎い人間と恨んでいることでしょう。両方にとって余計なことをしたことになります。ハトを助けたことは良かったのでしょうか。
 子どもたちはクモの巣にからまっている蝶をかわいそうだからと助けたり,逆に強いクモを育てるためにエサとして蝶を与えたりといった経験をするでしょう。自然を大切にするためには,人の恣意的な介入は忌避されなければなりません。それが分かっていながら弱いものに肩入れしてしまうのは,それが社会生活上の基本原則として身に染みついているからでしょう。
 鳥の卵をねらう蛇を憎いと思いますが,人はゆで卵をおいしいと食べています。この矛盾を人は「いただきます」という呪文によってかろうじて回避しているのでしょう。生活の中でなじんでいる救いの言葉は大事にリフレッシュして,子どもに伝えたいものです。

(No.83:リビング北九州:99年10月16日:1325号掲載)