《旅すれば 恥を拾って 苦笑い》

 先日恥ずかしい経験をしました。婦人用のトイレに飛び込んでしまったのです。入り口のドアに黒い人の形が描いてあったので何の疑いも持たず飛び込んだところが,様子が違います。不思議に思いながら外に出て隣のドアを確かめてみると,そこにも黒い人の形が描いてあり,比べてみてはじめて間違ったことに気づきました。幸いあたりに人影はなく事なきを得ましたが,もしも中で誰かと鉢合わせをしたらと思うと冷や汗ものでした。実はその前の日までの数日間ある会議に出向し会議場やホテルのトイレを利用していたのですが,どこも黒い人型は紳士用,赤い人型が婦人用という表示であり,色で見分けることに慣らされていたためのようです。
 慣れという思いこみは省エネルギーのために必要な機能ですが,場所が変わると失敗をしでかします。子どもたちは家庭と学校という特別な環境に慣れているので,社会に出たときにさまざまな失敗をしでかします。言葉づかいや人間関係の間合いの取り方などについて社会生活の仮免の練習をする場が地域ですが,今の地域にはその体験をさせる機能が失われています。練習もせずに社会に入り込めば,荒波に対して小さな失敗が取り返しのつかない事態を迎えることになります。こんなはずではなかったという悔いを生みます。
 人は自分のやり方がどこでも通用するはずと思っていますが,それは今までの経験の場で学んだやり方に過ぎません。場所柄をわきまえるという言葉がありますが,はじめての場ではいくらかの緊張感を呼び起こしてものごとに対処する心構えが必要になります。少なくとも確認をすべきでしょう。
 慣れがしくじりの素です。ときどきよそに身を置いたり話を聞いたりして,思いこみのチェックをする体験もいいものです。

(No.84:リビング北九州:99年10月30日:1327号掲載)