《不作法と 言われる子ども 親の恥》

 エスカレーターに乗るとき,急ぐ人のために片側を空けておくのがエチケットです。それは知っているのですが,では左に寄るか,右に寄るのか迷っていました。分からないときはまねをすればいいと,前の人にならってきました。先日テレビでたまたまそのことを調べた結果が紹介されているのを見ました。東京では左に寄りますが,大阪では右に寄って立つそうです。大阪で万国博覧会が開催された折りに,外国の方も訪ねて来るので右寄りが推奨されたそうです。外国にならったのです。右寄りが体勢のようです。ところでそんな理由とは別に,利き腕である右手で手すりを持てば自然と右に寄ります。楽に乗ろうとすることでマナーができあがっているようです。ただ左利きの人にはちょっとばかり不便かもしれません。
 子どもたちの箸の持ち方がおかしくなっています。鉛筆も持つというより握っています。ちょっと字を書くと疲れるのも無理もありません。端から見ていると妙に力を入れすぎて,姿が美しくありません。スプーンは握り,箸は指で扱います。ある有名なピアニストが来日した折りに,日本人が箸をきれいに使う限りピアノを上手に弾けるでしょうと語ったそうです。自慢の手先の器用さが失われたら,ものづくりを通して発揮してきた創造性も消えていきます。
 マナーのしつけはしなければならないと強いられるよりも,そうした方が楽ですという形が発端です。無理をしないから美しく感じます。無理をしないから創造に力を向けることができます。無理をしないから人に優しくなれます。幼いころのしつけでは多少の無理を伴うかもしれませんが,いったん身に付いたら楽になります。
 しつけられない楽としつけられた楽は違います。堅苦しさという無理を一生感じ続けるかどうかの違いです。

(No.86:リビング北九州:99年12月11日:1333号掲載)