《顔合わせ 隠した思い 見破られ》

 師走の街を歩いていると,たくさんの人とすれ違います。見ず知らずの人であり,二度と出会うこともないでしょう。人という字は二人の人が寄り添う形と朝のドラマで歌われていますが,触れあうことのない通りがかりの人は人ではないのでしょうか。どんな人かなと顔を見ていると目が会ってにらまれます。
 郵便局の入り口に「防犯のためにフルフェイス着用での訪問はご遠慮下さい」とステッカーが貼ってあります。人を識別するのは顔です。格好では区別が付きません。その人らしさは顔に現れるということでしょう。私らしさを消すほど化けないで下さい。
 連れ合いと出かけるときは,「化粧してから」と待たされます。座り直してながめています。ところで化粧をする顔と頭の境目はどこでしょう? 額の生え際ならば,生え際が後退すると顔が長くなり頭がなくなってしまいます。解剖学では,鼻の付け根から眉毛を通って耳の穴に至る曲線を境界にしているそうです。おでこは顔ではなくて頭ということになります。メーキャップに余念のない連れ合いに端から余計なことを話しかけて叱られています。
 子どもはお母さんの顔を見ています。ママの言葉は優しくても顔が曇っていると,子どもは不安になります。情緒不安定に追いやられます。ぼくやお父さんはいつも何かあるとお母さんを呼びます。お母さんは大変だな,手伝ってあげたいと思うけど,あの顔見たら逆らいたくなるのはどうしてかな。そんな声が聞こえます。鏡の中のママに明るめの気持ちメーキャップをしてあげて下さい。
 いい顔をするためにチーズと言っていました。でもズの口元は美しくありません。テレビで一足す一は二と言っているのを聞きました。私はラッキーと言っています。気持ちが明るくなります。

(No.87:リビング北九州:99年12月18日:1334号掲載)