《あれこれと 迷いがあって 生きている》

 お正月には床の間に鏡餅を飾ります。その台は三方と呼ばれています。四角なのになぜ三方なのでしょうか。台の側面を見ると,三方だけに眼象という飾り穴が開けられているからです。
 2000年という結びの年のせいでもないでしょうが,来年からの21世紀はどうなるか想像するムードがあります。2007年には,日本は人口の減少傾向に入るそうです。世界地図の中では過疎地に向かうステップに入ります。ちなみに現在の出産率は女性百人が七十人の女子を産んでいる割合だそうで,減る一方です。産まれたい赤ちゃんには競争率の高い狭き門です。
 ところで,何かことがあるとコメンテイターなる方々が,「だから日本人は…」とか,「どうして日本人は…」とおっしゃいます。いったい何人の日本人をご存じなのでしょうか。国民の一%でも百二十万人です。普通は人となりを分かっているのは,多くても千人以下でしょう。それで日本人のことがあれこれ言えてしまうのは,なぜなのでしょうか。疑問を持つことがおかしいのでしょうか。
 大きな話題は平均的な人や物事について語られます。統計データも常識も平均値です。平均とはいろんな要素があるという前提の上で成立します。現実は多様で決して平均一色ではあり得ません。
 子育ての世界にも平均的養育が入り込んでいます。参考にするのはいいのですが,それはズレを見つけるためだけであって,ズレをなくすことまでこだわったら,かえってマイナスです。個性化とは平均からのズレです。もちろん人として許されないズレは困りますが,焦らず気長に育てる役を親は負わされています。
 父の目,母の目,子どもの目という三方から見る眼をしっかりと結びつけていれば,ゆったりとした子育てができるはずです。

(No.88:リビング北九州:00年1月15日:1337号掲載)