《生きる味 教えてくれる 爺と婆》

 昔々,あるところにおじいさんとおばあさんが住んでいました。こうして始まるお話は耳になじんでいますが,小さい頃から一つだけ気になっていることがありました。それはお父さんとお母さんが登場しないということです。試しに,昔々あるところにお父さんとお母さんが住んでいましたと語ってみると,納まりがよくありません。この違和感はいったいどうしてなのでしょうか。ただ聞き慣れないということだけではないようです。
 父母は日常の生産的営みに励んでいます。子どもとご隠居さんは非生産的な立場にいますが,ご隠居さんはさんざん苦労してきましたし,子どもはこれからいろいろな力を身につけなければなりません。つまりご隠居さんは子どもの養育係という役割を持つような社会的仕掛けが機能していました。具体的な技は父母との共同生活から学べますが,その意味や内容とか,効果などについては祖父母の体験談から感じ取れるものです。なぜ人を助けなければならないのか,助けなければどんな目にあうのか,助けたらどんないい目にあえるのか,お話の形式で人としての心を具体的なイメージにして,子どもの心に刷り込むしつけがなされてきました。
 子どもにとっておじいちゃんやおばあちゃんは何でも知っている知恵の宝庫でした。辛酸を潜って生き延びた体験の深さを子どもなりに畏敬できるから,素直にその話を受け入れました。
 親を尊敬するという子どもが増えてきているようですが,親は感謝するものであり,祖父母が尊敬されていなければなりません。なぜならお年寄りは生きるということの大切さを体現しているモデルだからです。豊かさの底が浅いといった感じをぬぐえないのは,生きる心根を伝える仕組みがほこりをかぶっているからです。

(No.89:リビング北九州:00年1月22日:1338号掲載)