《単語だけ 行き会う会話 意味不明》

 連れ合いは通勤途上のバスの中や昼休みには読書をしているようです。以前は父や私が買い込んだ推理小説や時代小説を手当たり次第に読みあさっていましたが,最近は文学書を上司と一緒に読んでいます。女性同士で共通するテーマがあるのかもしれません。
 生き残っていく名作は文章にたくさんの隙間があります。最も大きな隙間は余韻でしょう。それは書き手が協同で感動を生み出しませんかと読み手に提供してくれる隙間です。微にいり細にいり書き込まれた文章は隙間がありませんから読みづらいものです。
 昔,ある教会の牧師が自分で考え抜いた素晴らしい説教をしていました。マークトーエンがその説教を聞いて,牧師にその感動を伝えた後,あなたの説教の一言一句がすべて載っている本があると語りました。オリジナル性を主張する牧師に,マークは後日その本を証拠として届けると約束しました。届いた本は一冊の辞書でした。
 どのような名作も言葉を並べ替えると辞書に還元されます。しかし単語が文章になるとき,そのつながりから単語の意味以上のものが生み出されます。それは読者の想像力と響き合う世界です。
 本とは胎盤のようなものです。母の血液が直接胎児に流れ込んでいるのではありません。もしそうなら母と子どもは同じ血液型のはずです。別々の血液が胎盤で交流することで栄養が受け渡され,胎児の命が維持されています。著者の選んだ言葉の微妙な並びが,本を通して読者の琴線に感動を呼び起こします。行間を読むとは著者と読者が本という胎盤で交錯することです。
 文章に用意周到にちりばめられている隙間に入り込めたとき,本を読む楽しみが味わえて,その本は著者の手を放れて読者のものになります。言葉の隙間を埋める姿勢が読書のマナーです。

(No.91:リビング北九州:00年2月19日:1342号掲載)