《ちょっとだけ 何をするかが 道分ける》

 休みの日にはいつもより早めに起きます。連れ合いから子どもみたいと笑われています。あれこれとしたいことがあるので,時間がもったいと思うからです。結構忙しいのですが,忙しいとは感じません。それは自分でしようとしているからです。しなければならないことなら追い立てられますので,忙しいと嘆くことになります。
 ところで平日は自由になる時間は細切れです。ほとんど息抜きに使われることが多いでしょう。無為の時間を過ごすことも衛生上必要ですが,息を抜くだけではなく息を込めるのも大切です。自分に何かを取り込むことです。毎日数十分を当てれば,大きな価値を育てることができます。趣味や健康作り,読む,書く,作る,聞く,話す,走る,跳ぶ,歩く,打つ,学ぶといったことがあります。
 忙しくて時間がないという言い訳は,まとまった時間を求めるからです。細切れの時間を有効に使えば,時間はあります。それができるかどうかが心豊かな暮らしの分かれ道になります。
 眠る前に今日一日何をしたかなと振り返ったとき,させられたことやしなければならなかったことだけだったらさみしいでしょう。たとえわずかな時間であっても自分がしようと決めたことをできたら,それが充実感を生みます。
 病は気からと言われていますが,生き方も気の持ちようで変わります。無い物ねだりをしても先には進みません。目の前に有るものを確実につかみ取るようにしさえすれば,細い道が拓けます。今日をつかめないと,いつまでも明日を手に入れることはできません。
 子どもが休み時間を楽しみにするのは,させられている授業と違って自分で過ごし方を決めることができるからです。授業も少しだけ予習をしていけば学ぼうと取り組めることでしょう。

(No.92:リビング北九州:00年3月4日:1344号掲載)