*** 子育ち12章 ***
 

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「第 10-01 章」


『親も子も 選んでないのに 親と子に』


 ■はじめに

 明けましておめでとうございます。今年も皆様方にとってよい年でありますように,心からお祈りいたします。

 本年も,子育て羅針盤をご購読下さり,ありがとうございます。よろしくお願いいたします。なお,ご意見やご感想をお聞かせいただければ幸いです。
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 昨年は,学校完全週五日制と新学習指導要領が実施され,子どもたちの環境はこれまでと違って様変わりしました。ところで,子どもはこの変化を当たり前のこととして自然に受け止めて育っていきます。小学2年生以下の子どもには学校五日が当たり前なのです。

 大事なことは,親の子ども時代の経験が我が子とは違ってくるという,親の側の変化を意識しなければならないことです。国際化や情報化といった世情の変化もさることながら,「自分が子どもの頃は・・・」という環境認識は通用しなくなっています。週五日制に対してどのように対応したらいいのか,親世代が迷っていますが,親は五日制の体験がないので分からないのが当たり前なのです。

 ことを急ごうとしてあれこれ考えようとしますが,所詮未知との遭遇ですからよい知恵に辿り着けるはずもありません。焦らずに,子どもと一緒に新しい時代の子育ちと子育てを創造していくつもりでいた方が賢いことです。ここしばらくは,子どもに寄り添うことが肝心です。もしも,子どもの環境変化が大したことではないと甘く考えていると,親は置いてけぼりをくってしまいます。

 時代の不連続な変化は当事者には唐突に見えるものですが,歴史という尺度で見るとかなりの必然性が潜んでいます。親が時代の空気を先取りしようとしなければ,子どもは時代の子に育てなくなります。時代の空気? そんなわけの分からないものをどうやって読めばいいのでしょうか? 難しくはありません。庶民はいつの時代も日常の暮らしから自然に感じ取ってきたのです。日常を大事にすれば,きっと見えてくるはずです。

 一方で,親は時代の変化によっても不変な”人間らしさ”を子どもに伝える責任があります。わけの分からない事件が珍しくなくなったようですが,それは子どもと親とのチャネルがフリーズしている兆候のようです。どのように人間らしさを子どもに植え付けていけばいいのでしょうか,この第10版で考えていきたいと思っています。

 ちょっぴり小難しい背景を見せてしまいましたが,どうぞ気楽にお読み下さい。理屈はどうあっても,日常の子育ちと子育ては単純なのですから・・・。最初ですので,クマさんは力んでいるようです。



【質問10-01:お子さんと一緒に選んでみませんか?】

 《「一緒に選ぶ」という内容について,説明が必要ですね!》


 〇衣食?

 姉妹3人の子どもを連れた母子と出会いました。小学生を筆頭とする姉妹はお揃いの洋服を着て並んで歩いていました。子どもはお揃いが好きです。最初は親とのお揃いです。女の子であれば母親と,男の子であれば父親とお揃い,喜びますね。

 色合いや柄,形などの好みを親からコピーされていきます。一緒に選ぶというより,好みなどまだ芽ばえていない子ども心に素直に受け入れていきます。親にはそのつもりはありませんが,選んでやっていることになります。

 大きくなってくると親離れをします。友だちとお揃いにしますが,友だちが変わるとお揃いも変わります。みんながしているという言葉が出てくるようになります。また流行りに揃えようとして相手を次々に変えるようになります。服装だけでなく,あらゆる面でお揃いが出てきます。中高生世代になると,タレントとお揃いであることで自己表現をしている積もりです。

 食事の好みも親が最初に持ち込んでしまいます。小学生になるまでは,母親の手作りの味をじっくりと染みこませておいて欲しいのです。買ってきた味付けは濃いめです。濃い味に染まると,味覚が鈍感になります。子どもにコクのある味など無用です。

 美味しいものを食べるというのは,味覚を鋭敏にした結果です。味付けに騙されて美味しいと思わせられているのは,食べる楽しみを割引することになります。欲しがるおやつを与えるのではなく,ママもちょっとだけ選択に気をつかってください。成人病が子どもにまで侵出してきたのは,大人の好みに付き合わせられてきた食生活のお陰なのです。

 一緒に選ぶというのは,親の好みを押しつけることではなく,親が子どもに成り代わってみるということです。子どもには相応しくないと感じる感性を持つことが必要です。ミルクを与えるときに,ママがちょっと味わってみてから口にふくませていたことを忘れないでください。

・・・可愛がることと愛玩することとは違います。・・・


 〇テレビ番組?

 バラエティやおふざけ系のアニメなどが,子どもの前に立ちはだかっています。乱暴な言葉が大人ぶること,自己表現と勘違いしているようです。ブツブツに切れた話し方や,人の話を聞かないしゃべり方,コミュニケーションの悪い例を見習っています。

 子どもと話すときは,言葉を選んでください。母親は古来言葉の先生です。ちゃんとした言葉遣いがしつけの要です。子どもが汚い言葉を拾ってきたら,それはそっと閉まっておくように教えてください。捨ててしまうのではなく,封印しておけばいいのです。使っていい言葉と使ってはいけない言葉を一緒に選んでください。

 テレビ番組は一緒に視聴してみるといいでしょう。頭ごなしの禁止などはあまりお勧めではありません。何処が望ましくないのか,母親の感想を載せて知らせてやれば,子どもにも伝わります。母親がどう感じているのかということは,子どもには結構効き目があります。

 うるさいといった,その場の感情ではなく,登場人物の中で脇役の思いを代弁する形で伝えるといった工夫をしてみてはどうでしょう。子どもはお話の読み聞かせを喜びますが,その手を使うのです。主役の行動を周りの登場者はどう思っているかと言葉にして聞かせるのです。

 子どもは主役の立場で番組を見ています。からかって面白がる場面などでは,からかわれる方の思いは見えてきません。それを親がそれとなく吹き込んでやればいいでしょう。相手の立場に気付かせることが,子どもと一緒に話すコツです。

 最近のテレビ番組のディメリットは,流れを結末直前に切断してCMを流すことです。気分をぐっと盛り上げていってこれからという直前にはぐらかすというイライラを押しつけてきます。のめり込むことを拒否され続けていると,子どもは自己防衛上やがてしらけを身につけていきます。そのことを防いでおかないと,熱中できない子どもになります。時間つぶしにテレビを選ばない方が賢明です。

・・・コミュニケーション能力は母親との豊かな会話で育ちます。・・・


 〇散歩?

 子どもと手をつないで散歩すると,子どもの関心はあちこちに向きます。動物園に行ったときなど,気に入るとじっと見ようとします。親は時間が気になって先を急がせようとしますが,そんなときはゆっくりと付き合ってやってください。子どもが選んだ過ごし方に従ってやりましょう。

 野原を歩くとき,なんの頓着もなく歩き回って,足下の草花を踏みつぶしていませんか? 公園などではイヌやネコの糞を踏まないように気をつけているはずですが,小さな生命への優しさを教えてやってください。小さいとはいえ命の大切さを選んでみせるのです。

 空の雲を子どもと一緒に見上げる視線を選ぶのもいいですね。形を変える白い雲をぼんやり眺めていると,何に見える?という想像ができます。それよりなにより,空の雄大さを感じることができます。見上げてごらん,夜の星を・・・。気持ちが狭くなったとき,手軽に癒しが得られます。お母さんと見上げた空の青さ,そんな思い出を作っておいてください。

 外の世界で,子どもは何に興味を示すのか,母親は何に関心を持つのか,お互いの選択を知り合うことできます。子どもはこんなものを面白がるのか,それはかつて自分が子どもであった頃を思い出させてくれるかもしれません。そんなとき,子どもの目線になれます。

 子どもの感性は不連続でつながっていません。連想にしても思いもかけない飛躍をします。子どもなりの連続性はあるのですが,大人の整理された思考には合致しないので,この子は何を考えているのだろうと思うことがあります。その自由な発想を大人の知恵で修正などせずに,一緒に楽しんでやればいいのです。

 なんの変哲もない石や草を何かに見立てて遊んでいる子どもは,頭の中で一つの物語を描いているはずです。大人には想像できない世界でしょうが,どんな選択をしているのか問いつめずに,温かく見守ってやってください。楽しそうにしている子どもの姿は,親には最高の癒しになります。

・・・子どもの選択と大人の選択の違いはあって当然です。・・・


 〇友だち?

 「友だちにいじめられることがあります」。この言い方が素直に読みとれましたか,それともどこか変と感じられましたか? 違和感を持って欲しいのです。そのわけは,いじめるような奴は友だちではないということです。友だちなら庇うはずです。友だちという言葉が意味不明になっているのです。

 子どもにとって友だち選びは大事なことです。子どもたちに「友だちは何人いますか」と人数を尋ねる調査を数回実施したことがありますが,その数は増え続けていました。皆仲良くという姿が見えてきたのですが,実のところは友だちの概念が軽くなってきたと考えなければならないようです。

 ただの知り合いでしかない間柄でも,友だちづきあいをしていると思いこんでいます。それなら,友だちにいじめられたという言い方も通用します。しかしながら,友だちという言葉はやはり信頼関係をイメージさせる言葉です。この期待と現実のギャップを含んでいるために,子どもたちの友だちづきあいを混乱させています。

 子どもたちが友だちを持てなくなってきた背景には,母親の友だちづきあいの影が差し込んでいます。表面的には愛想よくしながら,家の中では相反する言葉を口にしてしまうことがあります。そんな友だち観を教えられていると,子どもは友だちを持てなくなります。本当の友達は何処にいるのか,といつまでも落ち着かず,一方で,どう付き合えば友だちづきあいになるのか,も知らないままです。

 人と人は縁があって友だちになります。その縁を大切にする心根が友だちづきあいになります。出会いは切っ掛けであり,その後は縁を結ぼうとする意思が不可欠です。例えば,たまたまご近所で顔見知りになり,何かしら気があって友だちになり,引っ越して別れても,つきあいを続けようとする,それが友だちでしょう。傍にいるときだけしか友だちになれないのではありません。

 もちろん,浅い深いはありますが,裏表のないつきあいをする,そんな親同士の友だちづきあいを子どもに見せてやってください。して見せてやらなければ,子どもは友だちを持つ手だてを知らないままになります。友だちとはこんな風に付き合うのだと,子どもと一緒に友だちを作ってください。

・・・生きていく手だては親が手渡しするのです。・・・


 〇将来?

 順番を決めるときや決断を迷ったときには,ジャンケンやコインの裏表で決めることがあります。選ぶとはどちらかに決めることです。でも,決めることのできないこともたくさんあります。その袋小路を開くために,人は運を天に任せるという余裕を持ってきました。人智の限界を弁えるところに希望が詰まっているものです。

 子どもにおねだりされたとき,「お父さんに聞いてから」と返事を保留することがあります。たいていは「駄目」という結論を言い渡す嫌な役を父親に振り向けているようですが・・・? 自分の思い通りにはならないことがある,その壁として父親が立ちはだかっている,そんな図式が子育ちには必要なのですが,それを引き受ける頼りがいのある父親が減っているようです。

 大人は時として子どもに「将来何になりたい?」と尋ねます。幼い子どもには将来という意味は分かりません。ですから,今なりたいものを答えます。児童になれば将来を大人の姿に重ねてモデルを選びます。誰それのようになりたいと考えて,その職種を答えるでしょう。もちろん,それが実現する道筋などは分かってはいません。「無理無理」と簡単に潰さないでください。

 先のことは,やってみなければ分かりません。簡単に見限ってしまわないようにしましょう。大切なことは自分で選ぶことです。甘い考えかもしれませんが,子どもなりに考えて選んだということを大事にしてやるのです。もちろん,大人として,こんな時はどうするの,といういくつかのポイントを示してやることはよいアドバイスになります。一緒に選んでみるのです。

 成長して何らかの職種を具体的に選ぶときなど,親の意向と違う場合もあります。子どものためという親心が,子どもの選択を破棄し,親の選んだ道に向かわせようとする強権を行使する場合もあるかもしれません。もしも心配なことがあれば,それを子どもと一緒に考えて,よい方向を選ぶように話し合うことです。そういう親子の間柄は,一朝一夕にはできあがらないと知っておいてください。

 選ぶときにはベターな方を選びます。「こっちがいいかな?」。このときベストを望まない方がいいでしょう。ベストを選ぶと余裕のない道に入り込みます。先には何があるか分からない,良いことも悪いこともあります。ベターな道であればそれをかわす余裕があるので,実現しやすくなります。これしか無いという究極の選択ではなくて,この方向に行ければいいという余裕が大事です。

・・・選ぶことができるのは,今しかありません。・・・


 〇個性?

 生きるということは選び続けることです。今日はどの服を着ようか? 今夜の夕食は何を食べようか? 今度の日曜日は何処に行こうか? 一方で,一生に一度の決断ということもあります。やり直しできない重大決意になります。きちんと選ぶ能力を育てておいてやらなければなりません。

 選び方とは見分け方です。あれとこれを比べて,どちらがベターかという判定をするのですが,そこで必要なことはどのような物差しを当てるかということです。夕食の献立なら,肉類か魚類か,肉なら牛肉か豚肉か鶏肉か・・・などの選択肢が数え上げられる中で,ここ一週間に登場したものは取りあえず除けられます。消去法で残った中から,今日はちょっと冷えるからあったかいものをという条件を重ねて,献立が選ばれていきます。

 このような選択の手続き,即ち何を考えて選んだかを子どもにしっかりと伝えてください。単なる思いつきではなくて,こういう理由があるという背景を見せてやれば,選択の意味が分かるようになります。「どうして今日は鍋物なの?」,そこに家族を思いやる母親の優しさを感じるはずです。

 「今日は何が食べたい?」と子ども向けの献立ばかりではなくて,たまには「お父さんが好きだから」といった献立を,子どもと一緒に選んでみてください。うれしそうな父親の顔を見られたら,「ママと一緒に考えたんだから」と,子どもの心にはきっと優しい温もりがいっぱいになるでしょう。

 自分のためだけではなく,周りの人のことも考えながら選ぶことの大切さを学ばなければなりません。気配りの上で選ぶということです。何を選ぶかということは個性ですが,その上にどのように選ぶかということは人格に関わってきます。個性がわがままに堕落しないためには,心の広い物差しによって選ぶことが不可欠です。

 何をどのくらい食べるか,その選択が健康を決めます。何をどのように語るか,その選択がつきあいを決めます。何をどのようにするか,その選択が人生を決めます。選ぶということを,子どもと一緒にもう一度問い直してみませんか?

・・・迷いながらも選び続けることが生きることです。・・・



《一緒に選ぶとは,自分らしさへの道案内です。》

 ○人は自分で選んだ道であるなら,それなりの覚悟が伴うものです。迷ったときのアドバイスがあったとしても,それを決めるのはやはり自分です。母親の言うとおりに育てられたという思いが残ったら,子どもはどこかで深い後悔を秘めることでしょう。

 子どもが自転車の練習をするとき,はじめは補助輪や支えが必要です。同じように,選択という能力を育てる際には,親が一緒に介添えしてやることが必要なのです。基礎ができていないと,ちょっとした選び間違いは後で響いてきます。やり直しができることで,選ぶ練習をたくさんさせてやってください。


 【質問10-01:お子さんと一緒に選んでみませんか?】

   ●答は?・・・もちろん,「イエス」ですよね!?

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