『いいことが あるといいねと 肩叩く』
■はじめに
食事の締めくくりにはデザートがつきものです。講演をする際にも最後のお口直しがあったらいいなと思っています。そこで,終了間際の最後の数分に,短いお話をするようにしています。今号では,そのいくつかを再録しておきます。今年最後の「子育て羅針盤」のお口直しにもなります。
お話以外では,簡単な指遊びをしていただくことがあります。やってみましょうか! まず,両方の手の指を開いて指先だけを5本とも向きあわせて合わせてください。次に,中指だけを内に向かって触れたままの状態で折り曲げていってください。折り曲げた中指が背中合わせにくっついて,指の背を真っ直ぐにつなぐとちょうど両手を結ぶ橋のようになります。残りの4対の指は尖った形につながっているはずです。
これで準備ができました。まず,くっついている親指の先だけを離してみてください。離れましたね。親指を戻してくっつけて,次は人差し指だけを離してみてください。離れましたね。では戻して,次は一つ飛んで小指だけを離してください。簡単ですね。最後に残った薬指だけを離してください。離れましたか? 中指をくっつけたままでは無理ですね。離れません。不思議ですね! という簡単な遊びですが,「離れないので結婚指輪は薬指にするのです」という落ちをつけたりすると,愉快に笑っていただけます。
もう一つ,レジメが配られているときには,レジメの紙を利用した遊びをすることもあります。もし手近に折り込み広告などの紙があったら,やってみてください。紙を丸めて筒をつくってください。覗いていただきますが,ちょっとした準備があります。例えば右手に筒を持っていただきます。左手は指を揃えて真っ直ぐに開いてください。開いた左手を右手に持った筒の先の側面に触れさせてください。小指側の側面が筒の左側面に触れるようにしてください。筒の先をふさいだら間違っていますよ。
そのままの形で,左の手のひらが左目の正面に衝立になるようにしながら,右目で筒を覗きます。左目も開けておいてください。筒を通して遠くを見るようにすると,どのようなことが起こりますか? 不思議なことが起こるでしょう? 左手の平にまん丸の穴があいて向こう側が透けて見えるはずです。
このようなお遊びは,講演の後に質問の時間が設定されているときにする機会が出てきます。というのも,質問がほとんど出てこないのです。人前で相談事を持ち出すのはイヤですよね。そこでこちらから,最後の手みやげとして紹介するようにしています。
【チェック第13条:子どもに親の願いを伝えていますか?】
《「親の願いを伝える」という内容について,説明が必要ですね!》
〇子育ての意味?
子育ちの全体的なイメージを理解するために,「誰が育つのか,どこで育つのか,いつ育つのか,何が育つのか,なぜ育つのか,どのように育つのか」という必要十分な問題設定をして,それぞれについてお話ししてきました。
基本的に弁えておくことは網羅できているはずです。それぞれがバランスよく実現されていれば,子育ちは円滑に進みます。実際上は,成長の時と場合に応じて多少の変化は起こりますが,そのことは気にする必要はありません。
子育てをする親は,子育ちを温かく見守り,適宜支援をすればよいでしょう。育っているのは子どもであり,親が子どもを育ててやっているという気持ちはほどほどにしておかないと,子育ちの邪魔になります。子どもがママの言うことに逆らうのは,子どもからのブーイングです。
そうはいっても,親は子どもに対して願いを抱きたくなるものです。昔なら長男に跡を継がせるという具体的な願いや立身出世などがありました。ところが,家という概念が消え,出世の困難さが定着した現在,親はどんな願いを持っているのでしょうか? 芸能やスポーツ世界のスターに仕上げて,子どもの稼ぎをかすめ取ることでしょうか? それとも,子どもには金がかかるので,産まないで済ませてしまうのでしょうか? 義理の親や世間体から子どもをつくりますが,一人でたくさんでしょうか?
親にとって,子どもとはどんな意味があるのでしょう? 宝物ではなくて,やっかいものでしょうか? こんな罰当たりなことを考えるのは,親ではありません。親なら,我が子を胸に抱いたことがあるなら,意味や理由など不要でしょう。中途半端に賢いと,やれ意味だ甲斐だと頭で納得しようという悪癖が出てきます。親子の情は,考えることではなくて感じるものです。感じることができないと親にはなれないのです。
親は,子どもの喜ぶ顔,生き生きしている顔,屈託のない笑顔,そんな他愛のない子どもの姿を至福と感じる感性を授かっています。動物が本能的に子どもを庇い育てている姿を見ていると,そこに理屈を持ち込む方が間違っていることは明らかになるでしょう。子どもを育てる喜びは感受性の賜物です。
・・・子どもに寄り添っていれば,親の喜びが見つかります。・・・
〇一つのケーキ?
兄弟がいました。ある日のこと,お兄ちゃんが遊びに行っていた友だちの家からケーキを1個頂いて帰ってきました。母親が「弟に分けてあげなさい」と言ったので,兄弟は半分にしたケーキを一緒に仲良く食べていました。
ほほえましい光景を眺めていた父親が,兄弟にフッと思いついて尋ねたことがあります。「お母さんがケーキを二人で分けて食べるように言ったね?」,「ウン」。「お母さんはどうしてそんなことを言ったのだろうね?」。兄弟はケーキを食べる手を止めて,お父さんは何を言いだしたのだろうと顔を見合わせましたが,それでも考えていました。
やがて,さすがにお兄ちゃんらしく自分が答えなくては思ったのでしょう,こんな返事をしました。「ボクが一人で食べると,弟が可哀想だから」。学校で道徳の時間に,相手を思いやることを学んでいました。弟も食べたいと思うはずだから,自分だけ食べたら,弟はきっと泣くだろうと考えたのです。弟思いの優しいお兄ちゃんらしい答えです。
弟はお兄ちゃんが答えたから自分も何か答えなくてはと,しばらく考え込んでいました。お兄ちゃんに負けたくないと背伸びしている腕白な弟です。父親はじっと待っていました。やっとお兄ちゃんと違った答えを見つけたのでしょう,弟が答えました。「今度ボクがケーキをもらったときに,必ずお返しをすればいいから」。
貰った立場にある弟は,借りができたことになります。世間の暮らしではモノを頂いたらお返しをすることでトントンになるということを,日頃の母親の行動から知っていたのです。幼い弟らしく,ケーキにはケーキを返すという約束をしたと受け止めたわけです。
ニコニコと二人の答えをうなずきながら聞いていた父親は,二人の成長を喜んでいました。でも,胸の中では少しばかり気になることがありました。質問をした以上,父親なりの答えがありました。兄弟の答えは,その答えにまだ届いていなかったのです。無理もないことですが,二人に教えておくよい機会だと考えて,こんな質問をしたのです。父親の答えはどんなものだったのでしょうか?
・・・親の願いは,子どもには違った形で伝わっていきます。・・・
〇素直な喜び?
弟が可哀想だから分けてあげる。その思いやりにはちょっとした副作用があります。分けてやった方は「ありがとう」というお礼の一言ぐらい言って欲しいという気持ちを,分けて貰った方はお礼を強要されるような気持ちの負担を感じることがあります。もしも弟が黙ってケーキを食べたら,お礼も言わない奴にはもう二度と分けてやらないということになります。
いつか必ずお返しをする。その暗黙の約束は,すぐには実現できません。早くお返しをしないと,その後ことある毎にいろんなことで「この前,ケーキをやっただろう」と恩に着せられることもあり得ます。お兄ちゃんにその気はなくても,貰った方にそんな後ろめたさが湧いてくるものです。ケーキ半分を借りたという負担は,気持ちの負担になってのしかかってくるようになります。
でも,父親は子どもの答えを受け止めて,それに反論することはしませんでした。反論されることは子どもが最も嫌うことだからです。子どもの答えもあるということを認めてやっておかなければ,防御態勢に入って父親の答えを聞く耳を持たなくなるからです。別の答えもあるということを教えてやることが親の説得の基本です。
父親は兄弟に話しました。「お母さんがケーキを分けて食べるように言ったのは,一つしかないケーキを兄弟で分けて食べた方が美味しいと思う子になって欲しかったからだよ」。
分けてあげる,お返しをするという子どもたちの答えは,生きていくテクニックとして大事なことです。それは大事なのですが,家族として生きていくことで生きる喜びを感じて欲しいというのが,親の願いなのです。した方がいい,しなければならないということだけではなく,したいという喜びを持って生きていって欲しいのです。
兄弟がケーキを美味しいねとうなずき合いながら食べている様子を見て,父親はニコニコしています。お兄ちゃんが貰ってきたケーキですが,そのことはどうでもよくって,楽しいひとときを過ごせたらそれで十分な兄弟,仲の良さを見守っている親もうれしいことでしょう。
・・・うれしいことを素直に分かち合える喜びが,親の願いです。・・・
〇短い作文あれこれ?
・・・関西の先生が書かれたご本から(出典を忘却)・・・
ぼくはおかあちゃんのおちちをみたら,すぐさわりとうなるんや。ぼくがさわりにいったら,おかあちゃんがおこるねん。なんじゃろな,このきもち。
ぼくのお母さんは,朝でも昼でも夜でも一日中「早くしい早くしい」と言っています。だからぼくはとてもいそがしいのです。なんであんなに「早くしい」と言うのか,ぼくにはわかりません。先生,なんで早くしないといけないのですか,教えてください。
私は勉強のことでよくしかられます。ゆっくり考えていたら「早くしなさい」。しっかり考えてていねいに書いているのに「何をぐずぐずしてるの」と言われます。そういうときは勉強をやめたくなります。お母さんにほめられるのは週に1回ぐらいです。おこられるのは5回ぐらいです。おこられる方が4回も多いのです。ですから,いつでもおこられているような気がします。
私はお母さんが大好きです。よく働くお母さんです。いつも家の中を動きまわっています。元気なお母さんです。でも,少しのんきなところがあります。買い物に行ってよく忘れてきます。おかずをたいていて3回に1回はこげつかせます。お母さんが私に「お前はボーッとしてるなあ」と言います。私はお母さんを見ていると手伝ってあげたくなります。
うちのお母ちゃんはいつも体重を気にしています。やせたいやせたいと言っています。お風呂からあがるとすぐに体重計にのります。そして体重計に向かって「少しもへらんやないか」とおこります。そして体重計をガチャガチャいわせます。あんなことをしても体重はへらんと思います。ときどき私に「少し肉やろか」と言います。「いりません」と私が言うと,お母ちゃんは「お前と私は親子やろ」と言います。
私のお母ちゃんはいろんな足音をたてます。朝はトントントントン。これは朝の仕事が忙しいときです。ドドドドドド。これはきげんがわるいときです。気をつけなければいけません。ドンドンドンドン。これは私か弟がおこられるときです。スースースー。上品な音です。お客様がいらっしゃいました。トットトットトット。これはきげんがいいときです。一番きげんがいいときはスキップです。口笛ふけば最高です。
・・・子どもが母親を見る目は優しいのに・・・。・・・
〇「私の母ちゃんバカ母ちゃん?」
・・・5年生の女の子の作文の引用です・・・
私の母ちゃんは本当にバカです。いつも失敗ばかりしています。炊事と洗濯を一緒にするから,煮物の途中でシャツを干そうとしていて,煮物が吹きこぼれ,火を止めに走ろうとすると,竿に通しかけたシャツは地面に放り出されます。シャツは泥だらけ,そして煮物のナベはひっくり返してしまい台無しです。
すると,バカ母ちゃんは,ひょうきんにすぐおどけて謝ります。「こんな私で悪かった。ごめんね父ちゃん,カンベンな」。
すると,父ちゃんは「バカだなあ」といって笑います。そういう父ちゃんもバカ父ちゃんです。いつかの日曜日,皆で朝ご飯を食べていると,奥から慌ててズボンと洋服を着ながらカバンを抱えて茶の間を走り抜けていきました。「ああもう駄目だ。こりゃいかん」とか言って玄関から飛び出していってしまいました。
「まただね。しばらくしたら帰ってくるからな」と母ちゃんは落ち着いたものです。すると案の定,父ちゃんは帰ってきて恥ずかしそうに「また,無駄な努力をしてしまった。日曜日だというのに,ハハハ」と言い訳を言っています。
そんなバカ父ちゃんとバカ母ちゃんの間に生まれた私が,利口なはずがありません。弟もバカです。私のところは家中皆バカです。
でも,私はそんなバカ母ちゃんが大好きです。世界中の誰よりも一番好きです。私は大きくなったら,うちのバカ母ちゃんのような大人になって,うちのバカ父ちゃんのような男の人と結婚して,子どもを産みます。
そして,私のようなバカ姉ちゃんと弟のようなバカ弟をつくって,家中バカ一家で,今の私のように,明るくて,楽しい家族にしたいと思います。バカ母ちゃん。その時まで元気でいて下さいね。
・・・「ユーモア話術」相川浩著 KKロングセラーズ 66ページより・・・
・・・親のような大人になりたい,いつまでもそう思われていたいですね。・・・
〇親の背中?
子どもは親の背中を見て育つと言われています。幼いときにオンブされていると,親と同じ目線で前に向かっている自分が感じられます。ダッコされていると,目の前には親が立ちふさがって前が見えません。じっと見つめられている自分を感じて,息苦しくなります。前に開ける世界が見えないのは,閉じこめられているような圧迫感を与えます。
子どもの前に広がる世界には何が見えているのでしょう。そこには親の背中があります。親の後を追っていれば大丈夫。それが育ちの道になります。子どもに親の願いを届けることのできる唯一の方法は,「しっかりついて来い」という後ろ姿を見せることです。何も親の跡を継げということではありません。親の生き方,人として有り様を見せてやることです。
もう一つ大事なことは,賢く立派な親であってはいけないということです。賢く立派な親の背中は,子どもから遥かな遠くに霞んでしまうからです。子どもはとてもついていけないと見限ります。同時に,育ちが虚しく思えるようになっていきます。子どもの目から見てちょっと頼りないと思える程度がいいでしょう。自分と大して違わないという親の背中は,すぐ目の前に見えるからです。
もちろん,親の本当の実力は,子どもがどんなに育っていっても,親の背中はいつも目の前にあるということです。それが子どもと一緒に育っていく親の背中なのです。部分的には子どもは親を追い越していきます。背丈や腕力ではかなわないというだけではありません。それでも人としてはやはり一歩先んじていて欲しいと,子どもは願っています。
親が何を願っているのか,子どもはついていく中で分かっていきます。親自身の願いを子どもとの道行きで共に目指していく,それが親の子どもへの願いになればいいのです。最近は,親は親,子どもは子どもという意識が強すぎるようです。それでは,人としての育ちを疎かにしていることになります。職業的には違った道を進むことになるかもしれませんが,人の幸せに向かう道は同じはずです。親の幸せを背中ににじませておいてください。子どもはちゃんと見てくれていますから。
・・・親が幸せを見せてやらねば・・・。・・・
《親の願いを伝えるとは,幸せが何かを感じさせることです。》
○税務調査官のサスペンスドラマ中で語られていました。「幸せは気付いてあげないと逃げていく。見つけてやると,幸せはどんどん大きく育っていく」。青い鳥は探さないといけないのでしょう。問題は何処を探せばいいかということです。
自分の幸せは自分の周りにしかありません。幸せになれる場所を求めて寄り添っていく手もあります。その一つの選択が家庭を持つということであったはずです。家庭は幸せになれる場なのです。子どもが家庭に幸せを見つけられるように,親の願いが見えるように,心豊かにお過ごし下さいね。
【チェック第13条:子どもに親の願いを伝えていますか?】
●答は?・・・もちろん,「
イエス」ですよね!?