*** 子育ち12章 ***
 

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「第 10-02 章」


『似ていても よくよく見れば 違いあり』


 ■はじめに

 情報化という言葉があります。国際化,高齢化,少子化など○○化という形の言い回しが目白押しです。化という字は偏は人偏で人,旁は人を逆さにした字(七とは違います)で,人が老衰してその形が変わっていく意味を表します。簡単にいえば化けるのです。

 情報化社会は情報社会に,高齢化社会は高齢社会に,少子化社会は少子社会にと,やがて化の字が脱落して完全に化けてしまいます。化の字がくっついている間は化ける途中であるということです。では,これらの社会的な特徴はどの程度まで化けたら,化の字が取れるのでしょうか?

 流行という身近な化け方を見てみましょう。流れて行くのが流行であり,それは化ける途中です。流行が流行と言われなくなるのは,ほぼ3割まで普及したときです。3人に1人が化けたら,流行は終わり定着したと見なしているようです。特段の定義はないようですが,何となくそうなっています。

 高齢化社会が高齢社会に変わったという背景には,高齢化率が3割に達した頃からです。自分の身内の3世代を考えてみると,3人に1人の割合で高齢者がいるということです。情報化も同じです。子ども世代から携帯電話などの情報社会に浸っているので,やはり身内3世代の中では3割以上になっているはずです。

 マスコミ情報が溢れています。情報リテラシーの必要性が言われるようになってきました。加工された情報を鵜呑みにしてはいけないという警告です。情報発信者が選んだ情報である以上,発信者による加工が入っているのです。テレビは見たままを伝えているようですが,それは切り取られた映像でしかありません。珍しいから報道されているのであって,決してそれは当たり前のことではないのです。

 普通の人がテレビに出してもらおうとカメラの前に立っても,邪魔だと追い出されるでしょう。特別な人ではないからです。情報は特別なものだから意味があります。3人に1人以上に行き渡っているような事柄は,マスコミ情報には無価値なのです。情報に踊らされないように,情報は珍しい事柄を言い立てる癖があるということ,決して普通のことではないということを意識しておいてください。それが情報リテラシーの入り口です。

 子育て情報ももっと身近なところにある普通の人から直接に手に入れてください。特別な人は特別な情報しか話してくれません。著名な方の講演を聴いても,その人にしか通用しない特別な内容ばかりです。聞いていてもとてもついてはいけません。当たり前のことは情報として流れてはいないのです。



【質問10-02:お子さんと一緒に比べてみませんか?】

 《「一緒に比べる」という内容について,説明が必要ですね!》


 〇柱の傷?

 かつて家の柱には子どもの成長を刻んだ傷が付けられていました。身長を刻んで日付を記した傷は,大きくなっていく子どもを長い時間で見守るという知恵でした。柱の傷を見ることで,我が子の成長の早さを実感し,子どもを見る目をお兄ちゃんやお姉ちゃんとして見る目に修正してきました。

 子どもにとっても,それは自己との比較になりました。大きくなったんだという自覚を促す縁だったのです。今の家は傷を付けると不動産価値が下がるので御法度です。きれいに住まうことがいいことなのでしょうが,我が家というイメージは遠くなります。育った家という証がないからです。

 年ごとの成長の記録を家のどこかに見えるようにしませんか? 親の背丈と子どもの背丈を比べて,その年譜を掲示するのです。壁紙を貼っていつでも目に付くような場所,例えばお風呂場などに記録しておくのです。親は全く背が伸びず重さだけが増えていきますが,子どもはぐんぐん伸びていきます。比べるたびに楽しくなることでしょう。

 よその子どもにしばらくぶりに会うと,大きくなったなと感じることがあるでしょう。毎日見ている我が子の成長は見えません。もちろん子ども本人もそれほど自覚はしていません。母親は子どもの洋服や靴が入らなくなったという世話係としての気付きがありますが,父親の方はほとんど気付きのチャンスがありません。

 親も子どもも育ちを楽しみにすることが大切です。そのためには育ちが実感できなければなりません。一年生になったという節目を迎えると,育ちを実感するものです。それまでは節目がありません。何かしら目に見える形で育ちを比べる手だてが必要です。

 育ちの記録として写真やビデオを撮ることもあるでしょう。それなりの意味はありますが,でもそれは画面上の記録でしかありません。今の自分と比べることができないという欠点を持っています。小中学生時期までは,成長の物差しをどこかに作っておいてやってください。

・・・育ったという実感が育ちを楽しくしてくれます。・・・


 〇平均?

 お風呂場でママのお腹を見ながら,子どもが尋ねました。ボクはどっちのお腹から産まれたの? ママはこの子は一体何を言っているのだろうと一瞬思いましたが,すぐに納得! お腹が二段になっていたせいでした。子どもはママが一番気にしているところをつついてしまいます。

 ヴィーナスのプロポーションは黄金比になっています。誰が決めたのか知りませんが,最も美しい体型の比率があるそうです。そんなものがあるとしても,それはそれとして置いておくのが普通でしょう。土台が悪いのは親のせいと諦めるか,無理をする気がないか,挑戦してみるか,それぞれです。

 自分らしさや個性という言葉がキーワードになっています。それは均一化に対する反発です。平均化されることへの抵抗です。誰もが着ている洋服は嫌であり,誰もが持っているブランド品を拒否することなのです。そこには周りの人と自分を比べようとする目があります。周りから見つけているのが平均です。誰もがしている,持っていることを平均と見なすことで,自分と比べることが可能になります。

 子どもから「皆が持っているから」とモノをねだられたときに,「よそはよそ,うちはうち」とはねつけるか,それとも聞き届けるか,どちらでしょう?  モノによって使い分けていることでしょう。必要不可欠なモノならあてがってやらなければならないですね。皆と同じにならうことになります。均一化することになります。

 この皆と同じという選択は,ほどほどにするつもりでいた方が気持ちが楽になります。見渡せる皆は限られています。子どもの成長とともにつきあいの範囲が広がっていくと,当然皆の範囲も広がり,同じようにしようとすることなどできなくなります。多少は違ってもいいと余裕を持つ必要があります。

 比べるときに見極めることは,皆がどうしているかということだけではありません。皆がどれほど違っているかという程度を見つけることが大切です。少々の違いがあっていいんだということです。平均は皆の姿ではないのです。閉じこもることで発生する不安という気持ちは,皆とは違っていてもいいという確信を持てないために起こります。

・・・比べて見るべきことは平均ではなくて違いの余裕です。・・・


 〇違う?

 子どもたちは独自性を持っている家庭から離れて,均一性を必要とする園や学校で育てられています。同年齢の子どもだけが集められます。違いがないことが集団保育や集団教育の要件だからです。同じようにしなければならないという雰囲気の中で大部分の時間を過ごしています。

 特に育ちの面では,異年齢の集団が必須なのですが,それは子どもの周りには何処にもありません。子どもと一緒に異年齢の子どもとのあれこれを比べてみるようにしなければなりません。お兄ちゃんやお姉ちゃんを見つけて,その姿を親子で見比べてみてください。そこには,ずいぶんと違いが見えてくるはずです。そして同時に,その違いは成長すればすぐに埋まるものと思うことができます。

 お兄ちゃんだから,違うのです。ボクもお兄ちゃんになったらできるようになると,成長の目安が得られます。それは,今はできなくてもいいんだという安心感を親子ともにもたらしてくれます。違いがあって当たり前,それでいいんだという気持ちが,子育ちにも子育てにも必要です。

 子育て真っ最中は今の我が子だけを見ています。姿勢としては向きあっています。視界の中に我が子だけを捉えていると,小さなことが気になります。違うよその子たちを同時に見ることで,似たようなものだということが分かり,気にするほどのことではないと安心できます。成長の差を発育の遅れと心配しなくて済みます。

 子どもについても,小さな違いを認めることに慣れていないと,子ども同士で小さな違いをつつき合って平気になります。何の痛痒もなくいじめる練習をしているようなものです。いろいろいるからつきあいが楽しくなります。ご近所とのおつきあいの際に,子どもと一緒に違いを比べて,それを楽しんでください。決して,「嫌ね」などとは言わないことです。

 食堂に出かけて,家の味と食べ比べるのもいいでしょう。味が違うから美味しくないと言うか,こんな味もあるんだと感じてみせるか,これも美味しいと鑑賞するか,親子で比べてみてください。家の味,お袋の味をベースにすることで,子どもの味覚が給食味やファースト味に染まるのを防ぐことです。どの味もそれなりに楽しめる余裕が,好き嫌いをしないことなのです。

・・・多様性を認める習性が広い心を引き出します。・・・


 〇ごっこ?

 子どもが一人遊びをしているとき,ブツブツ言っています。ぬいぐるみとお話ししているとき,一人二役をしています。ぬいぐるみを自分に,自分はママに置き換えて,話しています。ママの言葉を話すことで,ママの立場を体験し,親と子の違いを比べています。

 子どものごっこの世界は,自分を他者に置くことで比べるチャンスです。親子で立場を逆転して遊んでみませんか? 自分がどんなに甘えた仕草をしているのかを見せつけられると,気がつくかもしれません。ママの代わりにお使いに行くというのは,子どもにとって大切な生活授業です。

 立場を交代すれば,使う言葉も違います。日頃親から言われている言葉を使うことで,親の思いを少しは感じ取れるようになります。言葉のニュアンスを共通理解できるかもしれません。飼い犬に向かっておしゃまな口を利いているとき,すっかりママのつもりになっていますよね。

 ごっことは今風に言えばシミュレーションです。遊びや授業も基本的にはごっこの世界です。非日常の世界に入っている自分と自分自身を比べて,その違いを見つけることで学びをしていきます。字を目にするとき,習うと読めて意味が分かります。字を知る前と覚えた後の自分を比べると,覚えた後の自分がうれしい自分に変わります。字を覚えるのが楽しくなります。

 ひらがなを覚えた頃,まちの看板や新聞などのひらがなだけを抜き読みすることがあります。漢字抜きの読み方です。意味は分かりませんが,字を読めることがうれしくてたまらないからです。育ちの楽しさとは,昨日の自分と今日の自分を比べるときに感じるものです。

 新しい自分になるには,比べて違う世界に入っていけばいいのです。したことがないからと逃げていたら,自分を閉じこめてしまいます。子どもと一緒にいろんな新しいところに飛び込んでいってください。ママが一緒なら子どもは安心してついていきます。飛び込めばいいことがある,そんな体験をたくさんさせてやってください。

・・・初めての体験の中にこそ比べて見える価値があります。・・・


 〇本物?

 比べて学ぶためには,比べられるものが本物でなければ意味がありません。昔から本物の絵,本物の音楽を鑑賞することが大切だと言われてきました。それは何も芸術分野に限ったことではありません。子育てにも通用することなのです。

 コピーが全盛の時代では,本物のお手本を見つけることは難しいでしょう。最も身近なコピーはテレビの画面です。そのまんまに見えているからコピーとは思えませんが,動く写真であることには変わりはないのです。

 見たことがあるということで済ましてしまうことはないでしょうか? 見ただけでは本物の体験とはなりません。本物は直接触れなければ効用は味わえません。食堂で隣の席に並んでいる料理をいくらじっくり眺めても味わえず栄養にならないのと同じです。

 それでは本物とコピーは何処が違うのでしょう。比べてみると何が見えてくるのでしょうか? それが分からなければ,子育てに生かすことはできませんね。本物はプロセスが生きています。コピーは瞬間の結果なのです。結果に至るまでの手順をじっくり見極めるには本物を前にしなければなりません。

 洋服の良し悪しを見極めるには,細かい部分の縫い方を確かめます。そのためにはどういう縫い方がいいのかということを知っておかなければなりません。普段から,本物はどう縫っているかを比べて覚えておくのです。どんな技が潜んでいるのかをかぎ分けなければ,いくら本物を見てもその良さを知ることはできないでしょう。人がいいと言うからいいという頼りないことになります。

 基本的な手順や作業を自分のものにしておかなければ,それを見ることはできません。自分はこうしていたけれど,本物はここが違う,その発見が見比べることによる学びです。親子でいろんな暮らしの技を一緒にやってみてください。手につけた技が本物を見る目を開いてくれます。

・・・手を使えるときに本物の良さが見比べられます。・・・


 〇第3?

 比べると言えば,どちらかを選ぶというときにも出会います。すっきりと選んでしまえればいいのですが,迷うことがあります。そういうときは第3の選択肢を探すことです。意外に思われるかもしれませんが,結構役に立ちますよ。

 実のところ意識しないで第3の道を選んでいることもはずです。ムシャクシャしたとき,直接解決する道がない場合には,買い物で憂さ晴らしなど? そのままでは拙いとは思いますが,一時の激情を収めておけば,冷静に向きあうことができるはずです。回り道もいいものです。

 子どもが泣いているときも,ちょっと別の方向に気を逸らしてやりますね。あやすというのも,第3の道です。もちろん,泣く原因の解決ができる場合は適切な対処が必要です。悲しいときに気晴らしを,落ち込んでいるときに励ましを,どうしようもない場合は,第3の道に踏み込んでいきます。

 次善の策というのも第3の選択肢になります。この辺で我慢しておく,そう思えば道は少し広がります。比べるときには,いろんな選択肢を揃えることです。0か1か,それを決めようとするから決められず,また結果を後悔する羽目に至ります。6割達成できればいいとする,そんな考え方もできます。

 子どもをしつけているとき,しつけ通りにならないときには迷いが出てきます。そのうちできるようになると考えて根気よく働きかける道があります。迷わずに続けていけばいいのです。今すぐにできるかできないかという選択ではなくて,時間をかけるという道です。

 子育てを母親がだけが担うと,母子関係だけになります。そこに夫婦である父親が絡めば,第3の関係である父子関係ができます。三角関係が機能することで,新しい局面が開けてくるはずです。第3の道は,じつはとても大事なのです。

・・・物事を3つの視点で比べると可能性が出てきます。・・・



《一緒に比べるとは,豊かさを見つけるしつけです。》

 ○個性とは選択肢がたくさん持てるということです。勉強ができることだけしか見えないとしたら,それは個性を殺します。いろんなことに価値を見つけられたら,自分の個性が見つかりますし,同時に人の個性も認めることができます。

 算数ができる子,体操が得意な子,絵が上手な子,優しい子,努力する子,真面目な子,勇気のある子,明るい子,慎重な子,我慢強い子,・・・。いろんな個性を認めるためには,比べる物差しをたくさん持つことです。


 【質問10-02:お子さんと一緒に比べてみませんか?】

   ●答は?・・・もちろん,「イエス」ですよね!?

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