*** 子育ち12章 ***
 

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「第 10-03 章」


『子と遊ぶ 体験こそが 親らしさ』


 ■はじめに

 人は見る,聞く,臭う,味わう,触れるという五感を持っています。その次に第六感があります。気が利くというのは第六感です。ところで,五感が鋭敏でなければ,第六感は働きません。基本を大事にしなければ,その総合力である応用は働かなくなります。

 五感は外部環境を認識し,発見し,興味を持ち,理解するまでの機能をもち,その上で未来・将来に起こりうることを洞察する力が発揮できます。こうしたらこうなったという経験知をたくさん持っているから,こうすればこうなるだろうと推察できるのです。

 五感を育てるためには,快適な暮らしをしていてはいけません。もちろん程度はありますが,少しの不快さが必要なのです。育ちとは快適さを求めようとする営みだからです。寒ければ温かくなるにはどうすればいいのか考えて,その対応を実行しようとします。お腹が空いても,食事の時間になれば食べられるという習慣があるから,もう少し待つように腹の虫に言い聞かせることができます。

 汚いものを目にするから,美しいものが見えるようになります。不味いものを食べるから,美味しいものが喜びを感じさせます。惨い世界を知るから優しさの大切さを実感できます。痛みを感じたことがないから,痛みを平気でまき散らします。痛みは自分で引き受けなければ,誰も肩代わりはできません。だからこそ,他者に痛みをもたらすことは御法度なのです。

 五感は生きるために必要な機能です。生きるとはマイナスを回避することから可能になります。視聴覚は敵を早く見つける機能であり,味覚臭覚は腐った食物を除ける機能であり,触覚は鋭利な危険物から逃避する機能です。即ちマイナスを感知できなければ意味がないのです。

 快適な環境での育ちは,マイナスを感知する経験が乏しくなります。当然,どのように回避すればいいのかしたことがなく,結果としてひ弱な育ちを促すことになります。少しのマイナスは不可欠です。その少しの負の体験,それが遊びに含まれている育ちの養分なのです。



【質問10-03:お子さんと一緒に遊んでみませんか?】

 《「一緒に遊ぶ」という内容について,説明が必要ですね!》


 〇視聴味覚?

 胎児は母親の胎内に閉じこめられていますが,音を聞くことはできます。もちろん話しかけても言葉の意味は分かりませんが,喜怒哀楽のニュアンスは伝わります。音楽を聴かせることで胎教を,という子育てが可能になります。赤ちゃんを左胸で抱くと落ち着くのは,胎児の頃から聞き馴染んでいる母親の鼓動に包まれるからです。

 生まれてから目が開き,見ることができるようになります。赤ちゃんのベッドの上にくるくる回る飾り物を置いてやることがありますが,目が最も敏感に働くのは動くものに対してだからです。何かが動いた,と感じることがあります。動くものは接近してくる危険ではないかを本能的に見分けなければならないからです。

 赤ちゃんは手当たり次第に何でも口に入れようとします。生きるために必要な食べる訓練をしています。苦かったり酸っぱければペッとはき出します。タバコや小さな固形物の誤飲には気をつけなければなりませんね。小さい頃に食べて当たったものは,その後身体が拒否するようになりますが,一種の抗体現象でしょう。

 遊んでいるとき,いろんな音の中から,ママの呼ぶ声を聞き分けることができます。どの音が自分に関わる音か,選ぶ能力が鍛えられていくからです。一緒にいるとき,なるべく声を掛けてやることでママの声を覚えさせることです。お袋の味,それはママと自分のつながりの糸になります。この味はママの味と刷り込まれているのです。

 ママと一緒に散歩しているとき,イヌが近づいてくるとママの後ろに隠れます。近づいてくる得体の知れないものを避けています。自分の背丈と同じ大きさがありますから怖くて当たり前です。大人だって背丈ほどの牛は,おとなしいと分かっていても怖いものです。ママがイヌと仲良くしてみせると,ママの仲良しだからと少し安心します。

 ママが子どもと過ごす時間,それは遊ぶ時間です。大人が考える遊びではなく,生きるために必要な立ち居振る舞いを伝授する練習という遊びです。一人遊びでは教わりがないので,効果的ではありません。独学よりも教習が早くて効果があるということと同じです。もちろんある程度の下地が備わった大きな子は一人遊びも必要になります。

・・・見て聞いて味わってより分ける力をつけることが基本です。・・・


 〇玩具の世界?

 おもちゃと遊ぶ子ども,おもちゃとしか遊べない子ども,おもちゃと遊ばされている子ども,そこに大人は寂しさや悲しみを感じるはずです。寂しさとは人と離れていることです。おもちゃは人と一緒に遊ぶ手段です。決しておもちゃ遊びそれ自体を楽しむようになってはいけないのです。

 ミニカーで遊んでいる子どもは,パパやママとお出かけしたり,友だちと競争したり,ママと一緒にスーパーに買い物に行ったりすることを思い描いて楽しんでいます。ミニカーが何台揃ったからうれしいという楽しみ方は,おもちゃ遊びではありません。「ママも一緒に連れて行って」,ミニカーに子どもと一緒に乗ってみる積もりになって遊んでください。

 積み木やブロックのような玩具,それ自体はただの部品であり組み立てることで形になる玩具は,想像を引き出します。電池で動くような玩具は子どもの遊び心を型にはめ込んでいきます。例えば,バスのおもちゃはバスとして遊ぶことしかできません。飛行機にはなりません。バスの利用を教えるのも必要ではありますが,それだけでは物足りなくなります。

 子どもがお盆を持ち出して遊んでいます。「おもちゃじゃありません」と取り上げますか? 子どもは何でもおもちゃにできます。子どもなりに遊びの世界を作り上げています。一緒に遊んでやれば,お盆が何を意味しているのか,教えてくれるはずです。気が済むまで遊ばせたら,本来の役目に沿ったお盆を使ったお手伝いごっこをしてみましょう。

 おもちゃ選びも考えるとたいへんです。子どもが欲しがるものは,ママは与えたくないものであることもあります。その点は半々程度に妥協すればいいでしょう。大事なことは,少な目にすることです。ご機嫌を取るためにおもちゃを与えておこうというのはいただけません。おもちゃだらけになると,いろいろな育ちの上での心配が出てくるからです。

 パパが日曜大工をしています。子どもはオモチャの道具でマネをします。ママが家事をしています。子どもはオモチャでままごとをします。一緒に遊ぶことで,ものを使うという遊びをたくさんさせてください。つくるという遊び体験がなければ,自分の手を使う楽しみを発見できないからです。遊ばされるのではなくて,遊ぶという主体性に気をつけてください。

・・・おもちゃは遊びをつくりだす手段です。・・・


 〇文明世界?

 人は道具を使います。現代社会の暮らしはマニュアルが必要です。スーパーではレジを通らなければ自分のものにはなりません。バスに乗るときには整理券を取らなければなりませんが,先払いになっているところもあります。電車には,一列に並んで順序よく乗車しなければなりません。一緒に出かけて子どもにさせてみることで覚えさせます。

 毎日の暮らしは時間に従って動いています。リズムを合わせられないと,自分にも周りにも支障をきたします。ママが苛つく要因の一つは,子どもが時間通りに動いてくれないことです。「早く」という口癖は,ママになると身についてしまうようですね。

 園児までは,これから何をしなければならないかを考える力はありません。8時に出かけるためには,今何をすればいいか。そんなことは考えられないのです。生活習慣としてリズムを身につける他はありません。6時に起きて洗面して・・・という一つの流れを習慣にするのです。そのしつけは当然やっていますね。

 朝を気持ちよく起きるためには,早寝が必要です。子どもが朝ご飯を食べたがらないと言いますが,それは夜更かしをして朝の目覚めがすっきりしていないからです。起きてきてもダラダラしているから,さっさとした習慣が身につきません。リズムのしつけは早寝から始まると覚えておいてください。

 子ども用の時計を与えることも一つの手です。寝る時間,起きる時間にベルをセットしておきます。ママと同じように自分の時計で行動する,その導入として遊び感覚でさせてみてはどうでしょう? させようとするのは大きくなった子どもには通用しますが,幼い間は一緒にするという積もりでいた方がいいでしょう。

 ママと一緒に洗濯物を畳みます。畳んだら自分のものはそれぞれに収納します。ママは片手でさっさとできるでしょうが,「こうするのよ」と言って,両手で持ってそっと収納して見せませんか。子どもにできるように形を整えてやらないと,きちんとできません。きちんとできないから,させないということになります。片づける癖をつけるせっかくのチャンスを逃さないでください。

・・・遊びでも繰り返すと良い習慣をしつけられます。・・・


 〇自然世界?

 人は暗闇を恐れます。見えないことが不安を生むからです。堅固な囲いの中に閉じこもれば,一安心です。内弁慶は外に不安があることの裏返しです。外の世界のあれこれがおよそであっても分かれば,自分の安心の場を見つけることができて,気持ちを外に向けるようになります。

 はじめての場所にいると,周りが見えていても不安になります。その場所がどういう場所か分かっていれば大丈夫です。自分が安心できる場所を見つけるために,目を開き耳を傾けます。そのためには,いろんな場のモデルを知っておかなければなりません。

 家の中と外は違います。外も道路と公園では違います。危険の程度ががらっと変わります。それぞれの場を体験することで,行動のパターンを変える必要を覚えます。よその家ではお利口さんにする,図書館では声の大きさに気を配る,乗り物では騒がない,曲がり角は飛び出さない,高いところには登らない,ママと一緒にいろんなところに出かけましょう。

 庭に出れば蜘蛛の巣にチョウチョが捕まっています。田圃の米をスズメが群れになって食べています。カラスがゴミ袋に群がっています。動物の世界には食べるための凄まじい闘争があります。花壇の草花が花を開き実をつけ枯れていきます。擬人化したお話をしてやって,何が起こっているのか,子どもなりに分からせてください。

 花や葉っぱをすりつぶして水につけると,色の付いた水になります。透き通った水に色が付きます。ぼろ切れを漬けると,色づきます。色というものはつくものと経験します。遊んでいると服に色を付けてくることもあるでしょう。叱るよりも,色が付くという事実に気付かせてやってください。

 夜になるとお月様が出ます。毎日少しずつ形が変わります。毎日ですと違いは少ないので,数日おきに一緒に見上げてみませんか? 形の変化が分かります。出てくる場所も変わります。明日はどうなるかな? そんな疑問を持てば,明日が楽しみになります。なにより,同じように見えても,じっくりと見ると物事は少しずつ変わっているんだ,ということを学ぶことができます。ものを見る目を開く扉になります。

・・・ただ眺めるのではなくしっかり見る遊びをしてください。・・・


 〇触覚世界?

 ママが洋服を選ぶときや,食材を買うときには,必ず手で触ったり持ったりします。五感の中で触感は普段あまり意識していません。普段心臓が動いているのを意識していますか? 何も感じていませんね。生きる上で大事なことは普段は感覚にかかりません。触覚は生きる上でとても大事な感覚ですが,それ故に意識にまで上ってきません。

 もしも触覚が働かなくなったら,人は寝たっきりになります。立つことも,座ることも,歩くことも,つかまることもできません。人としての動きは全て肌の触覚が司っているのです。愛する人とは抱き合います。肌と肌の触れ合いが,深いつながりを感じさせるものです。

 乳幼児をダッコしているときに,目や口に指を突っ込んできます。手当たり次第に触ろうとします。愛子様も牛に触ろうとしていました。見るだけではなく触ってみないと分からないのです。イヌも何かを見つけると,まず嗅いで,それから前足でちょっとつついてみようとします。触って確かめるという言葉通りです。

 この世界には目に見えないものもあります。例えば,目に見えない空気の動きである風です。大人世界には,場の雰囲気といったものもあります。親切のような気持ちも見えない抽象的なものです。親切が身にしみるという言い方がありますが,肌で感じるべきことはたくさんあります。怖いものに出会えば鳥肌だちます。触感を使うような遊びもしておく方がいいでしょう。ちょっとくすぐったりしてやれば,喜びますね。

 子どもは泥んこ遊びが好きです。もしも,洋服が汚れるからといって,禁止しているなら,子どもが可哀想です。遊びたいのに遊べないという封じ込めは心の負担になり,とんでもない形で吹き出してくるはずです。例えば,砂場で遊んでいる子どもを理由もなく突き飛ばしてみたり・・・。

 砂のザラザラ感,泥のヌルヌル感,水のサラサラ感,ママの肌のスベスベ感,コンクリートのガサガサ感,いろんな感じを体験しておけば,触感が豊かになります。本当は布オムツのジメジメ感がオムツを早く卒業したいという気持ちを引き出すのですが,サラサラオムツではそんな気は育ちません。親が気持ち悪いだろうと勝手に先回りして思いやっている,一種の過保護です。不快感も一緒に付き合ってやる勇気を持ちませんか?

・・・触れ合うというのは大事な遊びの要素です。・・・


 〇記号世界?

 ママの指にはマリッジリングが光っています。薬指のリングは結婚という意味を表す記号です。場所によって意味が違います。人には手と足があるのに,イヌには前足と後ろ足があり,手はありません。それなのに,「お手」と芸をさせています? こんなことはどうでもいいことですが!

 絵本を読んで聞かせます。子どもが読もうとします。どちらから開くでしょう。順序がありますね。玄関で脱いだ靴は家族それぞれに置く場所が決まっていませんか? ゴミはゴミ箱に,本は本棚に・・・,場所があります。このような目に見えない約束事も記号です。

 椅子には座ってはいけません。おばあちゃんは座りますが,それは勘弁してあげましょう。椅子には腰掛けるのです。バスや電車のように子ども用の椅子がなければ座らせるしかありませんが,なるべく腰掛けさせてください。公共物はみんなのものですが,それを私のものと解釈すると,それは困った勘違いになります。記号の読み違いです。

 人を叩いてはいけません。人には優しくした方がいいのです。このように,して良いことと悪いことがあります。善悪という記号です。この記号は子どもの心の中にきちんと刻み込んで,いつでも見えるようにしておかなければなりません。

 子どもの心にいろんな記号を刻むには,石に刻むようなものです。繰り返し繰り返し教え込むこと,それしかありません。その手間を惜しんで,言っても聞かないと逃げていたら,子どもの心は道標を失います。何の記号も描かれていない地図と同じなのです。

 一緒に遊んでいれば,その時に必要な記号があれこれと現れてきます。それを言葉なり態度なり叱ったりほめたり,あらゆる手だてで子どもの心に印象づけるチャンスが出てくるはずです。その時にしなければ効果は薄くなります。熱いうちに刻んでやれば残ります。冷えたら受け付けてくれません。一緒にということは,とても大事なことです。

・・・一緒に遊ぶとは考えると奥が深いのです。・・・



《一緒に遊ぶとは,親がしてやれる最も大事なプレゼントです。》

 ○遊べない子どもという危惧があります。子どもにとっては遊びが学びです。生き方学校をさぼっているのですが,その大切さに気付いていないことが心配なのです。ゲーム遊びは盛んかもしれませんが,それは遊びではなく,言い過ぎかもしれませんが遊興なのです。

 遊びという言葉をもっときちんと考えて頂きたいと願っています。遊ばせておけばおとなしくしている,手間がかからないといった親の都合は二の次にして,手抜き養育をしないことです。親らしいこととはわざわざ一緒に遊んでやること,そう思っていただけたら,子どもは幸せでしょう。


 【質問10-03:お子さんと一緒に遊んでみませんか?】

   ●答は?・・・もちろん,「イエス」ですよね!?

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