『母さんの 明るい歌で 起こされる』
■はじめに
誰しも思い出の歌というものがあるでしょう。ことさら覚えようとしたわけではなく,いつの間にか覚えている歌もあるでしょう。最近は,テレビ番組の主題歌という形で流布する歌曲が多いようです。アニメ番組の主題歌を聞く番組もときどき放映されていますが,聞き慣れて覚えた曲です。
かつては,今と違って,テレビでたくさんの歌番組をやっていました。今はラジオが流している程度です。全体的におしゃべり番組が多くなったように感じます。歌声喫茶や音楽喫茶という類の喫茶店も消えていきました。皆で音楽を楽しむという風情は薄らいできました。
著名な作詞家が,最近は皆で歌う歌が少なくなったと語っていました。歌われている世界が,個人的な領域に狭まっているというのです。視線が遠くにまで及ばずに,クローズアップされた情景が歌われることが多いようです。いきおい,歌う方も自分勝手に歌うことになります。
歌は世につれ世は歌につれ,という台詞がありました。流行歌は世情を反映しますが,そのまっただ中で生きている人は年代毎の自分の歌というものを共通に持っています。テレビ番組の主題歌,どの曲を知っているかで,世代が分かれてきます。
暮らしの中に歌はあるでしょうか? 歌は暮らしとは関わってはいけないのでしょうか? 歌を忘れた暮らしをしているから,気持ちが解放できずに苛ついてくるのではないでしょうか? 今日一日,少しでも歌を口ずさみましたか? 声に出さなくても,鼻歌でも,ハミングでも,構いません。
歌なんか歌う気分ではない,そんなときこそ大声で歌ってみればすっきりします。大声を出したら隣近所が迷惑する? ワーと叫べば変ですが,歌であれば一曲ぐらいは聞き過ごして呉れるかも? 子どもと一緒に歌うというカムフラージュもありますよ。
【質問10-04:お子さんと一緒に歌ってみませんか?】
《「一緒に歌う」という内容について,説明が必要ですね!》
〇歌詞?
どんな子守歌でもいいですが,最後まできちんと歌えますか? 一番だけ歌って,後はハミングで誤魔化していませんか? 童謡や子どもの歌,お子さんと一緒に負けないで歌えていますか? 完全に歌える歌が一曲でもあればいいですね。
メロディは何とか覚えているのに,歌詞が出てこない歌がかなりあるでしょう。ときどき歌っているとそうでもないのですが,長い間歌っていないと忘れてしまいますね。記憶したものは,リフレッシュが必要です。ところで,メロディは覚えているのに,なぜ歌詞は忘れるのでしょう。
歌を歌っているとき,書かれた歌詞を見て歌っているからです。見たままを口に出しているときは,記憶は一時記憶として処理されています。たとえば,どこかに電話をしようとするとき,電話番号を調べて覚えてピッポッパとプッシュします。その後すぐに忘れてしまいますね。再度電話しようとすると,また番号を探します。それが面倒だから,リダイアル機能があります。
一時記憶を固定記憶にするには,それなりの手続きが必要なのです。歌詞を見ずに歌ってみて,思い出せない箇所を見つけ,そこを補修するのです。その繰り返しにより,全体が完成します。記憶を定着させるプロセスがあります。
また,歌詞は形式上言葉の意味のつながりが跳びますので,覚えにくいということもあります。一番と二番の歌詞が混じってしまうということがよくありますね。それでも何となく意味が通じてしまっておかしくないからです。
子どもと一緒に歌ってみると,どちらかが覚えていないところは他方が覚えています。二人で覚えているところをつなぐことができます。これが集団学習をするメリットです。自分が忘れているところを見つけ,相手から教えてもらうことで補修できます。楽しみながら,記憶を定着させていけます。
・・・一緒に歌えば,歌詞を完全に記憶できます。・・・
〇メロディ?
歌詞は覚えていなくても,メロディは覚えているものです。メロディには意味というものがありません。まさに感性の揺らぎです。一方,意味というのは歌詞である言葉が担い,理解するという働きが必要な知的なものであり,別次元なものです。
歌は気持ちの起伏を表現し,歌えば内にある感情を発散させてくれます。その経験が刷り込まれると,歌によって気持ちが揺さぶられるようになります。行進曲を聞けば歩きたくなる,別れの歌によって寂しさが蘇り,セレナーデにせつなくなり,青春歌で若返ります。歌詞がない演奏だけで十分にその効果があります。
町の保育園・幼稚園の園児が全員で太鼓の演奏をします。町民運動会などの行事で,可愛いバチさばきを披露してくれます。鉢巻きをし法被を着込んで健気で力一杯太鼓のリズムを奏でている姿は,観覧している人を感動させます。心地よい気持ちの揺れが園児たちの演奏によって誘発されます。
ロバのパンやさん,たこ焼きやさんのテーマ曲,石焼き芋の売り声,最近はスーパーの魚屋さんで魚の曲が流れています。音曲は意外と能弁です。太鼓がドロドロドロと小刻みに尻上がりに打たれると,不気味な雰囲気が漂って,お化けの登場ということになります。
静かにしなさい? でも歌だけは例外にしてください。お風呂に入っているとき,10まで数えなさいと数を暗唱させていませんか? それよりも,数え歌を一緒に歌ってください。古い数え歌に,一番はじめは一宮,二は日光の東照宮,三は佐倉の宋五郎・・・といった歌がありました。
今風にいけば,ドレミの歌や,一本でもニンジン,・・・といった歌がありますね。ただの棒読みで覚えるより,メロディやリズムに乗せれば覚えやすくなります。覚える苦労を味わうことなく楽しく覚えられます。読み聞かせも肉声がリズムを帯びているから,子どもは心地よく聞けるのです。
・・・メロディに載せれば頭だけではなく身体で会得できます。・・・
〇ハーモニー?
カラオケは国際語になってしまいましたが,空のオーケストラを約めただけの言葉です。ところで,オーケストラの伴奏で歌うと上手になったような気分を味わえます。それがカラオケが流行っている要因でしょう。華やかな楽器の演奏を引き連れて歌う,王様の境地かもしれません。
オーケストラは交響楽団と翻訳されます。音の響きを交わらせて楽しませてくれます。多種類の楽器が独特の音を重ねることで,壮大なハーモニーを作り出します。それぞれの楽器が持ち場持ち場で音を奏で,指揮者の思いのままに組み立てられたとき,楽曲が完成します。
歌劇の伴奏であった楽曲がやがて歌を置き去りにして,楽曲だけで一人歩きをはじめました。言葉を必要としないほど,完成したということです。その境地は一足飛びに味わえるものではありません。歌を知らなければ近寄りがたいものです。
音楽という科目は日が当たっていません。音楽の成績が悪くても,大して苦にならないでしょう。音符が読めなくても歌は歌えるという実績があります。聞いて覚えることができます。それは,人に歌う能力がある程度は備わっている証拠であり,さらには歌うことは生きる上で役に立つという証です。
子守歌を聴かせると,幼子は眠りにつきます。古の人は太鼓の音に合わせて踊りました。音楽は人を誘います。招き入れます。ということは,人と人とをつなぐ力があるということになります。音を交わらせると心地よいまとまりが感じられるのです。合唱や合奏になるのは自然なのです。
和音という音の組み合わせがあります。音を足し合わせると心地よく感じるという本能は,人の声が重なること,そのような形が生きるに相応しい形であることを暗示しています。歌は一人で歌っても楽しくありませんね。子どもと一緒に歌って,声を合わせる楽しさをしっかりと伝授してください。
・・・調和の楽しみは一人では得られません。・・・
〇歌の価値?
楽しいときには楽しい歌を口ずさみます。それは周りに楽しさをまき散らします。楽しさのお裾分けです。ママが楽しい歌を歌っていれば,子どももうきうきしてきます。共感することができます。人と人とのつながりは,分かり合うという理解と同時に,共感し合うという気持ちの交流が大切です。
悲しいときは悲しい歌を歌います。短調の響きが悲しい気分を包み込み,そっと吸い出してくれます。毒気ははき出さないと身体に悪いですから,歌声に載せて流し去ってしまいましょう。落ち込んでいるときに元気な歌は聴きたくありません。気分に合った音楽がまず最初ですね。
どうして歌に和むのでしょう。天使の歌声という言い方があります。歌は歌手の声であり音楽家の作りだしたものではあるのですが,歌曲はそれ自体が自然のものになります。誰のものでもない,人間の無形の財産です。大げさにいえば,神の創造物的なイメージがあります。
歌っていると,歌に包まれるという感じを抱きます。何か大きな存在に抱かれていくような感覚です。子守歌を聴けば,母なる存在が優しく抱きしめてくれているような感じになります。勇壮な歌を聴けば,歌の溢れている空間から元気を身体に注入されるような気になります。歌に励まされ,歌に慰められるというのは,歌を通じて大きな愛や勇気に触れることができるからなのです。
音楽は情操教育と言われています。情操とは情を操ると書きます。気分に沿った歌曲を選ぶことで,もう一人の自分が自分の中に沸き上がっている情感を自覚できるから,自分を上手に操れるようになります。もやもやした抽象的な言葉で言い表されない情感でも,楽曲に託すことができると,掴まえることができます。
優しい言葉が行き交うところでは,子どもは優しく育ちます。同じように,優しい歌曲が流れているところでは,優しい気持ちがよく育ちます。知的な育ちには敏感な子育ては,情的な子育てが疎かになります。情が育っていなければ,人としての育ちは覚束ないでしょう。
・・・知的言葉と情的歌曲が揃ってこそ人情を育みます。・・・
〇仲間づくり?
学生さんとの宴会の態様が移り変わっています。昔は,各人が十八番を歌って皆は手拍子で伴奏しながら一緒に歌っていました。カラオケが登場してしばらくは,宴も一段落すると「さあカラオケだ」とそれぞれが歌い始めたものです。皆は自分の歌の番号探しに忙しく,誰も聞いてはいません。最近はカラオケも見向かれず,隣同士でおしゃべり三昧です。
宴席は皆が楽しむ場であり気持ちを共有する場であったのですが,今ではただそこに居合わせているだけで,集まっている意味が失われてきました。自分の傍にいる人としか語れない,つきあえないという狭さを感じます。
授業態度にもそれが見えています。近くの者同士ではおしゃべりするつながりを持っていますが,ちょっと離れた場所にいる先生とは無縁状態になっています。そんな遠くにいる人が話していることなど,自分には関係ないという風情です。遠くに耳を澄ませて聞く気がありません。聴力が衰えています。
大人世代の宴席ではまだカラオケが残っています。それでも,歌を歌ってはいません。大音量の伴奏に閉じこもって,一人の世界にのめり込んでいます。聞かせようという気がほとんど見られません。自分の好きな歌を選曲しています。皆で一緒に歌える曲を選ぼうという思いはありません。同じ歌を皆で歌う楽しみをすっかり忘れています。
マイクを使うという歌い方が,歌を個人的なものに変えてしまいました。皆で同じ歌を歌えば大合唱になり,マイクという増幅装置は必要ありません。それぞれが参画できて,皆が一緒に楽しむことができるのですが。機械装置が絡むと,人間関係の形が変わることを考えておかなければなりません。
せめて,家庭では肉声で声を合わせて歌ってください。同じ釜の飯を食べるのと同じで,同じ歌を歌う経験が仲間意識を生み出します。親子で同じことをすることがなくなっている現状では,せめて一緒に歌うことぐらい努力してみませんか? いつでも何処でもできて,手間はほとんど掛かりませんので。
・・・仲間づくりの共有体験には行動の種が必要です。・・・
〇生きた言葉?
男声と女声では音の高さが違います。一緒に歌うとつられた方がきつくなります。男性は高い音が出なくなって,途中で1オクターブ下げるということになります。人によってキーの音程が違います。同じ歌を歌っても,微妙に印象が違ってきます。
音程がずれて調子はずれになると,音痴ということになります。人の声を注意して聞き分けることが苦手で,自分の声と重ねてみる経験が少なかったのでしょう。音階をしっかりと耳に刻んでおけば,正しい発声になるはずです。
もちろん,音痴であってもいいでしょう。音楽の専門家でなければ,一向に頓着しなくても構いません。それはそれでご愛敬です。結果としてはそれもいいのですが,子育て段階ではやはり音感をそこそこまで持てるようにしておいた方がいいでしょう。
発声はコミュニケーションの基本です。はっきりと正確に発音する話し方は生きていく貴重な財産です。かつて,素養として古典を暗唱することがなされていました。現在では,意味も分からず棒暗記することは無用な努力と思われています。でも,その肥やしがないために深みのある生き方が少なくなっています。
古典を声を出して読めば,そのリズムの良さが実感できます。その口調のリズムを会得することが大事です。韻を踏んで言葉を並べると,とても心地よい響きが生まれます。聞きやすいということはコミュニケーションの基本です。祇園精舎の鐘の声,諸行無常の響きあり・・・,雨にも負けず,風にも負けず・・・,などは定番ですね。
歌は言葉のリズムです。聞きやすい話し方の見本になります。印刷された言葉を人の声に換えるとき,言葉が生き生きとしてきます。ベートーベンの運命交響曲が同じ楽譜に従っていながら指揮者によって印象が違うのと同じように,同じ詩文も読む人によってイメージが変わります。その人らしい読み方があります。声質のキーが違うからです。歌に限らず,美しい詩文を子どもに聞かせてやってくださいね。
・・・言葉は人の声になってこそ命が通うものです。・・・
《一緒に歌うとは,生きた言葉への共感を楽しむことです。》
○これまで繰り返し,母親とは言葉を教える先生だとお話ししておきました。字が読めない頃から,口移しに言葉を教えています。母の声,母の話し方で言葉を覚えていきます。言い方がママそっくりになりますよね。
正しい言葉遣いをしつけるだけではなくて,美しい言葉遣いも教えておきたいですね。それは発声という側面もあります。歌うように話す,というほめ方があります。歌の練習も個性を身につけることだと思ってください。
【質問10-04:お子さんと一緒に歌ってみませんか?】
●答は?・・・もちろん,「
イエス」ですよね!?